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日本のデザインアーカイブの実態調査

どうなっているの?この人たちのデザインアーカイブ

DESIGN ARCHIVE

柳 宗理

インダストリアルデザイナー

 

インタビュー:2016年7月20日(水)13:00〜14:30
取材場所:柳工業デザイン研究会
取材先:柳工業デザイン研究会
インタビュアー:関 康子、浦川愛亜
ライティング:浦川愛亜

PROFILE

プロフィール

インダストリアルデザイナー
1915年東京都生まれ。
1940年東京美術学校(現東京藝術大学)卒業。
1950年柳インダストリアルデザイン研究所設立。
1953年財団法人柳工業デザイン研究会開設。
2011年永眠。

柳宗理

Description

説明

終戦の翌年、1946年からデザイン活動を始めた。その後、消費文化が急速に拡大していったなかで、大量生産、大量消費社会の経済システムに加担しているデザイナーを痛烈に批判した。そして、「デザインとは何か」をひたむきに見つめ、売るためのデザインではなく、人の心に寄り添う生活のデザインを追求した。
2011年に亡くなるまでの65年間、幅広い分野の多彩な製品のデザインを手がけた。ケトルやカトラリー、ティーポットなどのテーブルウェア・キッチンウェア、レコードプレイヤーやミシン、自動車といった工業製品、高速道路の防音壁、関越トンネルの坑口、歩道橋、消火栓、オリンピックの聖火台、キオスク、商店用の秤、油絵具の容器、家具、照明、テキスタイル、文具、玩具、雑誌の表紙など。2枚の成形合板を組み合わせた名作バタフライスツールは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)やルーブル美術館に永久保存されている。
一方で、「デザイナーが介在しないデザイン」を賛えた。ひとつは、ジーパンや野球ボール、ピッケルなどの製作者名が記されていない、用に即した美をもつもの、もうひとつは、父の柳宗悦が唱えた民藝運動の、日本の名もなき民衆の手仕事によって生み出された生活道具である。そこに生活の原点があり、美の源泉があると捉え、柳自身もそうした名前が前面に出ずに広く使われるアノニマスなデザインを理想として、身体の深奥から生み出されるものをつくることを目指した。
デザイン活動を行う傍ら、1977年から2006年まで東京・駒場の「日本民藝館」の館長を務め、宗悦の思想を継承し、先人たちの残した遺産を現代に伝えることに尽力した。柳の製品を販売する「柳ショップ」は、東京の四谷にある。

Masterpiece

代表作

<プロダクト>

エレファントスツール(1954)バタフライスツール(1956)
白磁土瓶(1956)スタッキング花器(1979)
黒柄カトラリー(1982)パンチングストレーナー(1999)

<公共施設>

大阪くずはニュータウン歩道橋(1972)
横浜市営地下鉄の水飲み場と水汲み場、ベンチ(1973)
東名高速道路 東京料金所防音壁(1980)

<その他>

野毛山公園の案内図(1970)
札幌冬季オリンピック聖火台(1972)
名古屋市営地下鉄のキオスク(1973)
『民藝』表紙デザイン(1977)

<書籍>

『柳宗理 デザイン』(1998・河出書房新社)
『柳宗理 エッセイ』(2011・平凡社)

柳宗理作品

Report

レポート

財団法人としてデザイン活動を始めた

柳がデザイン活動を始めたのは、1946年の31歳のときだった。それから4年後の1950年に、柳インダストリアルデザイン研究所を開設。デザインの啓蒙と普及を考え、1953年に財団法人となり、柳工業デザイン研究会と名称を改めて設立。柳が亡くなった後、2013年に一般財団法人へ移行した。
現在、一般財団法人柳工業デザイン研究会では、柳が手がけたデザインの監修および新製品の開発と、デザインアーカイブの整理と調査を行っている。同研究会が考える、柳宗理のデザインアーカイブについて研究員らに話を伺った。

 

柳の理想としていたこと

自身のデザインアーカイブをどうするかという具体的なことについては、柳から話が出たことはなかったという。ただ、製品や資料はしまっておくのではなく、「いろいろな人に活用してもらいたい」「できる限り1カ所にまとめて保管しておきたい」ということを口にしていたそうだ。
また、柳は生前、「日本民藝館」の近くに「近代工芸館」をつくりたいという思いを抱いていたという。そこには、自身の手がけた製品だけでなく、国内外の現代の素晴らしい生活道具を収めたいと考えていた。
日本民藝館とは、柳(宗理)の父である宗悦が「新たな生活工芸の創造に役立つ、工芸の基準を示す場」として、1936年に東京の目黒区駒場に開設した美術館である。宗悦は、大正時代に陶芸家の河井寛次郎と浜田庄司と共に民藝運動を起こした人物として知られる。民藝運動とは、工業化が進んで大量生産品が生活に浸透してきた中で、日本各地の手仕事の文化を案じて警鐘を鳴らし、真の豊さとは何かということを追求した運動だ。
宗悦は、民衆によってつくられた生活道具の中に、美しさを見出し、生涯にわたって各地を巡り、それらを蒐集した。日本民藝館には、それらの品も含めて、縄文時代から昭和前期までの国内外の陶磁器や漆器、染織品や絵画といった造形物が約1万7千点収められている。
柳は若い頃、宗悦の蒐集したものを古くさいと感じ、前衛芸術に夢中になった後、学生時代にバウハウスやル・コルビュジエを知り、機械生産品のデザインに向かった。民藝とは一線と画していた柳の考えを改めたのは、ル・コルビュジエの協力者のシャルロット・ペリアンだった。1940年にペリアンが工芸指導員として日本に招聘された際に、柳は彼女の日本視察や展覧会のサポート役を担うことになった。その日本視察の中で、彼女が強い関心を寄せたのが日本民藝館のもので、そこで民藝の素晴らしさにも気づかされたのだった。
柳が日本民藝館の近くに近代工芸館をつくりたいと考えたのは、民藝と機械製品の良い物を並べて、そのつながりを明示し、それらから受け取ったものを未来に引き継ぐことが必要だと考えていたからだ。残念ながら、その近代工芸館は実現することなく、今に至っている。

 

金沢美術工芸大学と学術協力を結ぶ

柳工業デザイン研究会では、柳が70歳半ばを迎えた90年頃から、これまで手がけたデザイン製品などを次代に遺していこうと考えた研究員らが自主的に写真資料や模型、試作品などの整理を少しずつ行い始めた。デザインアーカイブの整理および調査が本格的に開始されたのは、柳が亡くなった後の2012年からだ。
1955年から50年余りの間、柳が教鞭をとっていた縁から、2012年には石川県金沢市にある金沢美術工芸大学と学術協力を結び、製品をはじめとするデザイン関係資料約7000点を寄託。2014年には大学付置施設として、「金沢美術工芸大学柳宗理記念デザイン研究所」が開設された。
施設内には、エレファントスツールや紋次郎ティーテーブル、出西窯の食器といった約200点余りの製品が展示され、生活を想定して空間の中で実際にものに触れて、柳のデザインを感じられる場になっている。各製品のキャプションや説明文を置いていないのは、来場者に余計な知識や先入観を持たずに「無心にものと向き合って、自らの眼で素直に美を感じ取ること」を大切にしてもらいたいからだという。
同研究所では、柳が生きた時代のデザインの調査研究のほか、その成果を発表する企画展示や公開講座、柳の関連書籍や情報の提供も行っている。寄託した約7000点のデザイン関係資料は、この研究所内ではなく、金沢市内の倉庫に保管されている。
倉庫内には、家具や食器、カトラリーなどの製品、雑誌『民藝』の表紙や展覧会のポスターといったグラフィックデザイン、工業製品、ベンチなどの公共用家具、模型、試作品、製品図面などが所蔵されている。現在、その倉庫内の所蔵品と柳工業デザイン研究会内で保管されている掲載誌、原稿、手描きのメモ、手紙、新聞の連載記事と合わせて、研究員によって調査と研究が行われているところだ。

 

当時の雰囲気を残した空間

柳工業デザイン研究会には、現在も数名の研究員が在職している。その空間に置かれた家具は、柳がデザインしたものに加え、柳がセレクトしたほかのデザイナーのイスなどもある。模型をつくるのに使用していた電動のろくろをはじめ、作業机や椅子。簡素な流し台やガス台もある。キッチン用品を開発することも多かったので、昼食時に試作品の鍋などを使って交代で料理し、みなで食事をしながら意見や考えを交換し合って検討を重ねたそうだ。
木製棚には、柳が国内外で収集した蔵書や民藝品や骨董品などが飾られている。ディスプレイすることもデザインのひとつと考え、新しい品が増える度に配置の仕方に毎回、工夫を凝らした。その棚や制作現場の様子は、雑誌や書籍でも度々、紹介されてきた。現在、研究員らは意識的に柳がディスプレイした棚や、当時のデザイン活動を行っていた雰囲気をできる限り、そのままに残すように努めているという。
この研究会内にも、製品図面や写真の一部が保管されている。写真は、紙焼きとフィルムの両方が残されていて、カビが生えたり、変色してしまったりしたものもあるが、現在はドライキャビネットの中に入れて管理。製品写真は、柳の監修のもと事務所専属の写真家に撮影してもらっていた。柳もカメラが好きで、特に旅路で撮影した写真が多数残されている。
研究会内で目下、議論しているのは、この良いものを身近に置くことで、新しいデザインの発想が生まれることを体現した空間自体をそのまま保存していくべきなのか、あるいは、地震等のリスクもある中でデザインリソースとも呼べる、柳が収集したものもアーカイブとして倉庫で保管するべきかどうかということだ。

 

問題点や課題になっていること

現在、柳のデザインアーカイブの整理および調査を行う上で、問題や課題となっていることは何か。ひとつは、これまでアーカイブを残すことが念頭におかれていなかったため、資料内容についての情報が乏しく、事実関係を調べるのに手間や時間がかかることだ。
たとえば、撮影者の明記がなく、著作権の保有者がわからない写真も多いということ。また、柳の製品は、50年以上のロングセラーのものもある。途中で材料が変更になったり、製作を請け負うメーカーが変わったり、製造上の問題で多少の形の変更を余儀なくされたものもある。だが、その変更されたことを裏付ける資料がほぼないため、現在残されている保管品が最終的な製品なのか、試作途中の検討段階のものなのか判別が難しいそうだ。
また、調査の中では、柳と一緒にものづくりを行ってきた元職員や当時、メーカーに在籍した元社員へのオーラルヒストリーを行うこともあり、その際にはアーキビストとしての知識のほかに、デザインの専門的な知識も必要になる。従って、こうしたアーカイブの調査研究保管を行う際には、さまざまな知識や能力を持った人物が複数名でチームを組んで当たることが理想ではないかという。

 

デザインミュージアムについての意見

柳のアーカイブの調査研究を行うなかで、デザインミュージアムに対する意見もさまざま聞くそうだ。 「デザインアーカイブを単に展示するだけでは、面白くないのではないか」「物がつくられた背景や思想も含めて、デザインプロセスが伝わるような展示を行うミュージアムをつくるべきではないか」「デザイナーのデザイン活動を正しく展示で伝えるためにはどうしたらいいか。そのことをまず議論していくことが大事ではないか」など。
また、デザインプロセスを含むすべてのアーカイブを公開することは、「はたしてデザイナーにとって、いいことなのか」「デザイナーに対する冒涜ではないか」という意見も。デザイナー自身が最終製品として認めていないものや、実はデザイナーにとっては捨てるに値するようなものが含まれるかもしれないという理由からだ。
さらに、一般論として「今をアーカイブすることのほうが大事ではないか」「とにかく今あるアーカイブをデジタルデータとして保管し、著作権が切れた頃に、改めてそれを取捨選択すればいいのではないか」という考えもアーカイブにはある。

 

活動を未来につなげていく

デザインというのは、社会活動とは切っても切れない、強い結びつきをもったものである。柳もデザインを広く普及していくことを考えて財団法人として活動し、デザインアーカイブについても生前に「いろいろな人に活用してもらいたい」と話していた。
研究会でも、柳のアーカイブをこのまま保管するだけでなく、できるだけ多くの人に活用してもらい、社会に役立て、その先の未来につなげていくことが大事だと考えている。柳のアーカイブを展示するミュージアムをつくることは目標としているところだ。
そして、研究会では、現在行っているアーカイブの調査と研究活動の内容や柳のデザイン手法と思想をこれから若い世代や学生に伝授し、次代に受け継いでいきたいという思いも持っている。それについては現在、検討している段階とのことだ。

 

文責:浦川愛亜

 

柳宗理さんのアーカイブの所在

問い合わせ先 

柳工業デザイン研究会 http://yanagi-design.or.jp

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

プロダクトデザイナー

渡辺力   1912年生まれ*

剣持勇   1915年生まれ*

柳宗理   1915年生まれ*

長大作   1921年生まれ*

近藤昭作  1927年生まれ*

栄久庵憲司 1929年生まれ*

黒川雅之  1937年生まれ

川上元美  1940年生まれ

喜多俊之  1942年生まれ

水戸岡鋭治 1947年生まれ

川崎和男  1949年生まれ

宮城壮太郎 1951年生まれ*

 

建築家

調整中

 

グラフィックデザイナー

原弘    1903年生まれ*

亀倉雄策  1915年生まれ*

粟津潔   1929年生まれ*

永井一正  1929年生まれ

田中一光  1930年生まれ*

勝井三雄  1931年生まれ

福田繁雄  1932年生まれ*

杉浦康平  1932年生まれ

中條正義  1933年生まれ

石岡瑛子  1938年生まれ*

浅葉克己  1940年生まれ

松永真   1940年生まれ

佐藤晃一  1944生まれ*

井上嗣也  1947年生まれ

八木保   1949年生まれ

秋田寛   1958年生まれ*

インテリアデザイナー

倉俣史朗  1934年生まれ*

北原進   1937年生まれ*

大橋晃朗  1938年生まれ*

内田繁   1943年生まれ*

杉本貴志  1945年生まれ

植木莞爾  1945年生まれ

北岡節男  1946年生まれ

 

テキスタイルデザイナー

粟辻博   1929年生まれ*

 

メーカー

資生堂 ソニー

ホンダ トヨタ自動車

マツダ キヤノン

ヤマハ パナソニック JADA

デザインミュージアム・デザイン機関

国内:

DNP文化振興財団

国立近代美術館工芸館

JIDAデザインミュージアム

富山県立新近代美術館

金沢工業大学建築アーカイヴス NEW

柳宗理デザイン研究所 他

 

海外:

Cooper Hewitt(NY)

MAK(ウィーン) Barbican

The Design Museum(ロンドン)

Pompidou Centre(パリ)

Garage(モスクワ)

The New Institute(ロッテルダム)

MAXXI(ローマ)

M+ (香港)他

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。