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日本のデザインアーカイブの実態調査

どうなっているの?この人たちのデザインアーカイブ

DESIGN ARCHIVE

倉俣史朗

インテリアデザイナー

 

インタビュー:2016年7月19日(火)13:30〜15:00
場所:クラマタデザイン事務所
インタビュイー:倉俣美恵子さん、宮本かほるさん
インタビュアー:関康子、涌井彰子
ライティング:関康子

PROFILE

プロフィール

インテリアデザイナー
1934年~1991年。
1956年 桑沢デザイン研究所、リビングデザイン科卒業。
1965年 三愛宣伝課、松屋インテリアデザイン室を経て、
     クラマタデザイン事務所設立。
1990年 フランス文化省芸術文化勲章を受勲。

倉俣史朗

Description

前書き

1991年冬、倉俣史朗急逝の知らせは、日本のデザイン界に大きな衝撃を与えた。
現在でこそ、日本の建築、デザインは世界で高い評価を得、日本のクリエイターが国内外で活躍しているが、倉俣は日本人が海外で活躍する先鞭をつけた立役者の一人である。
また、透明感・浮遊感という言葉で表されることの多い独特の世界観をもつデザイン、結果的に大量生産・大量消費時代おけるものづくりへの批判精神にもつながる仕事ぶりなど、倉俣はまさに伝説的な存在であり、後のデザイン界に多大な影響を与えている。
倉俣の仕事は大きく、ISSEY MIYAKEのブティック、レストランやバー、展覧会などのインテリアや空間デザイン、ミス・ブランチに代表される家具、ブティックの什器や照明などのプロダクトデザインがある。あまり知られていないが、友人や知人の仕事場や住宅などの設計、デザインも数多く手掛けている。
2011年、21_21デザインサイトでの『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』展のカタログ中「倉俣クロニクル」(著者、橋本啓子)では、倉俣の活動傾向を時代によって大きく3期に分けて総括している。「アートへの接近」(1961~1970)、「知的操作のデザイン」(1971~1980)、「自由への飛翔」(1981~1991)であるが、60年代、70年代、80年代と、倉俣は豊かな才能を、その時代や社会の気分を直感的に嗅ぎ取り、魅力的なクリエイターたちとの交友からも刺激を受けながら、デザインとして昇華させた。そんな倉俣の仕事はデザイン界のみならず、アートや建築、ファッションなど、異領域のクリエイターたちにも大きな刺激を与えることとなった。
倉俣が海外へ進出するきっかけとなったのは、1980年代、イタリアデザイン界の巨匠エットレ・ソットサスとの出会いと三宅一生の海外ブティックのデザインであろう。現在、多くの人が倉俣デザインとして思い浮かべる、割れ硝子、スターピース、薔薇の造花を封印したミス・ブランチ、エキスパンドメタル製のハウ・ハイ・ザ・ムーンなどの家具、またガラス、アクリル、光などで構成される透明感、浮遊感に満ちたインテリアデザインの多くは、80年代の作品である。一方、晩年は、当時注目を集めていた建築プロジェクト「熊本アートポリス」において、熊本市の大甲(たいこう)橋計画(1990)などの大型の公共プロジェクトにも携わっており、仕事の領域も拡大しつつあった。
そんな中での急逝は、日本のデザイン界にも大きな痛手だったが、倉俣のデザイン遺伝子は国内のみならず海外のクリエイターたちにも現在もなお引き継がれている。

Masterpiece

代表作

<プロダクト>

ピラミッドの家具(1968)、変型の家具シリーズ(1970)、ランプ・オバQ(1972)、
硝子の椅子(1976)、インペリアル(1981)、スターピースを使った一連の作品(1983)、
ハウ・ハイ・ザ・ムーン(1986)、ミス・ブランチ(1988)、
ISSEY MIYAKEのための香水瓶(1990)、ラピュタ(1991)他

<インテリア>

ISSEY MIYAKE MEN南青山(1987)現存エドワーズ本社ビルディング (1969)、
ISSEY MIYAKE ブティックフロムファース(1976)、
ISSEY MIYAKE MEN渋谷西武百貨店、(1987)、
オブローモフ(1989)、スパイラル(1990)他

<書籍>

『倉俣史朗の仕事』(鹿島出版会1976)、
『倉俣史朗―1967-1987』(PARCO出版1988)、
『STAR PIECE―倉俣史朗のイメージスケッチ』(TOTO出版 1991)、
『未現像の風景―記憶・夢・かたち』(住まいの図書館出版局1991)他

倉俣史朗作品

Interview

インタビュー

倉俣さんの作品や資料の今

 デザインアーカイブについて興味をもったきっかけが、2011年に21_21デザインサイドが行った「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展のディレクターをした際に、倉俣さんの貴重な作品や記録が失われ、また倉俣さんを語ることのできる同時代の方々が亡くなっているという事実に直面したことでした。
そこで、1991年に倉俣さんが亡くなって以降、そのデザイン遺産をまとめてこられた美恵子さんに、デザインアーカイブについてお聞きしたいと思いました。実際、倉俣さんの作品や資料の保存や管理について、現在はどのような状況なのでしょうか?

 

倉俣 倉俣の作品は大きくショップや展覧会などの空間(インテリア)デザインと家具や小物などのプロダクトデザインがあります。前者に関しては、関さんもご存じのようにほとんどが現存していません。今、見ることのできるものは、青山にあるISSEY MIYAKE MENのショップなどごくわずかで、それらもオリジナルから手が加えられています。ですからインテリアデザインについては、写真や図面でしか残ってないという状況です。倉俣自身もインテリアデザインは常に更新されることを自覚していたので、作品を写真で残すことを意識していました。
プロダクトは、クラマタデザイン事務所の他に、倉俣のモノづくりを支えてくれていたイシマル、三保谷硝子、それから三宅一生さんが持っておられます。私たちクラマタデザイン事務所の所蔵品は、3つのコンテナーに納めて豊洲の倉庫に預けています。展覧会などで貸し出す度に倉庫まで立ち会いに行ったり、保管の経費もかかりますし、いつまでこの状態でいられるのかはわかりません。

 

 倉俣さんと言えば、作品はもちろんですが、素材サンプル、試作品なども貴重なアーカイブだと思います。それらの現状はいかがですか?

 

倉俣 ガラスに関しては三保谷硝子さん、他のモノの多くはイシマルさんにあると思いますが、それらは完成した作品ではありませんので、整理、データ化されているかどうかはわかりません。倉俣が亡くなって25年がたちました。当時のスタッフの人たちも含めて、人の記憶はどんどんあいまいになってきますから、何らかのかたちでの記録しておくことは大切だとは思いますが、実際にはなかなか大変な作業です。

 

 先の2121の展覧会の準備のために、イシマルさんの倉庫に調査に行きました。今でも大切に保管されていた様子が印象に残っています。ただ、どれも倉俣さんの創造力を確認できる貴重な資料なだけに、ただ倉庫に眠っているだけはもったいないなあと思いました。
他、スケッチや掲載記事などはどのような状態ですか?

 

倉俣 スケッチはほとんどすべてクラマタデザイン事務所が保管しています。また雑誌の記事に関しては、その内容が、倉俣本人が語っていたり、インタビューを受けたものを中心に整理しています。

 

 美恵子さんは以前、倉俣さんの言葉をまとめた本を出版されたいとお話しされていました。そのような意図もあって整理されたのでしょうか?

 

倉俣 そうですね。倉俣の言葉をまとめた本を出したいという希望はあります。そのために時間をかけて、倉俣の言葉をデジタルデータ化しました。やはり倉俣の思想は本人の言葉がもっとも的確に表現していると思いますので。

 

 三宅一生さんが倉俣さんの作品を数多く所蔵されているとのことですが、それは70年代から80年代に倉俣さんがISSEY MIYAKEのショップのほとんどをデザインされていて、そのための什器やインテリア、家具などをそのまま保管されているということですか?

 

倉俣 はい。でもそれ以外の倉俣の作品もコレクションしてくださっていると伺っています。

 

 倉俣さんは世界的なデザイナーでしたので、海外のミュージアムにもコレクションされていますか?

 

倉俣 展覧会も開催されたパリの国立装飾美術館には羽入りの「アクリル・スツール」「時計」などがコレクションされています。MoMA(ニューヨーク近代美術館)には「ミス・ブランチ」、「49の引き出し」、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などが、ポンピドゥーセンターには「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」などがあります。また2019年に開館予定の香港にできるミュージアム「M+(エム・プラス)」には、1988年に倉俣がデザインした新橋のすし屋「きよ友」を丸ごと解体して、コレクションされています。

 

 京橋のプリヂストン本社ビルのエントランスは、現存した数少ない倉俣さんのインテリア作品でしたが、建て替えのために取り壊されました。ただ、家具や建具などは可能な限り保存していると聞いています。新しいビルで何らかのかたちで活かされるといいのですが。
ところで、倉俣さんの作品は、椅子やテーブルなどのプロダクトデザインも量産を前提とせず、一つひとつがつくり込まれていますね。そういう意味ではデザインというよりも、椅子やテーブルの形をしたアートという印象もあります。

 

倉俣 倉俣はそもそも自分の作品の量産化にはそれほど興味がなかったし、ある特定のインテリア作品や展覧会のためにデザインした椅子やテーブルが多いので、どれも数が限られています。また、当時の職人さん方も高齢になられたり、素材が手にはいらなかったりと再現することが困難な作品も多いのです。

 

 そんな中で、幾つかのメーカーで倉俣作品が生産・販売されていることは重要ですね。

 

倉俣 イタリアのカッペリーニ社が「変型の家具」などの幾つか、日本の日南がアクリルの花器シリーズ、ヤマギワがオバQをそしてスパイスセットはウエストが復刻し製造販売しています。

 

 倉俣さんはご自身の作品を惜しげもなくいろいろな方にプレゼントされていたとも伺っています。

 

倉俣 そうですね。そもそも物や金銭に執着しない人でしたので、お世話になった方や親しかった人に作品をプレゼントしていました。

 

 倉俣さんの作品はアートのように価値があると思うので、オークションにかけられたり、美術館のコレクションになるのは当然だと思います。ただ、そうなってしまうと誰もが自由に鑑賞できるということにならないことも多く、残念な気持ちもします。

 

倉俣 確かに、美術館にコレクションされても常に展示されるとは限りませんからね。パリの国立装飾美術館はかつて倉俣の展覧会をしてくれたこともあって、椅子のコーナーでは常に倉俣の作品が展示されています。

 

 でも、倉俣デザインのファンとしては、その世界観を総観できるような形で展示されることを望みたいですよね。

 

倉俣 私もいつかそのような機会があるだろうことを期待して、事務所として倉俣の作品を数多く保管しています。けれどもこれからのことを考えると、何が何でも日本国内にとどめておく必要があるのかどうか考えてしまいます。倉俣の仕事を理解してくれて、その価値を認めて保管継承してくれる場所があれば、それが海外でもよいのではないかと思っています。

 

 そうですね。川上元美さんもおっしゃっていたましたが、プロダクトデザインは嵩のあるものだから、自分が保存するにはスペース的にも限界があるし、その労力や費用も大変だろうと思います。
さて、デザインアーカイブといった場合、作品はもちろん、図面やスケッチ、写真なども含まれると思いますが、それらはどうなっていますか?

 

倉俣 写真はクラマタデザイン事務所で保存していますが、当時はフィルムですから経年すれば劣化してきますので、大切なものはデジタルデータ化しています。図面に関しても当時は手書きですからサイズが大きいし、紙なので保管するのはなかなか厄介です。現在は振り分けして重要と思われるものはデジタル化しています。スケッチもすべて保存しています。

 

 展覧会の準備のためにそれらを拝見しましたが、とくに肉筆の図面やスケッチはデザインコンセプトや倉俣さんの息遣いが伝わって来て、とても貴重な資料であると感じました。
ところで、倉俣さんは桑沢デザイン研究所の卒業生ですが、桑沢で倉俣作品をコレクションするというような動きはなかったのですか?

 

倉俣 桑沢は倉俣以外にも活躍している卒業生がたくさんいらっしゃるので、倉俣の作品だけをコレクションするということは難しいのでしょう。
私は、作品やスケッチがミュージアムやギャラリーで展示されることももちろんですが、倉俣が残したアーカイブをデザインや文化の調査や研究に役立ててほしいという気持ちもあります。ただ、紙の資料は日本語で表現されるものが多いので、言葉を考えるとやはり日本にとどめたい気持ちもあります。

 

 国内に倉俣研究をしている大学や研究所、研究者はいらっしゃいますか?

 

倉俣 お一人います。

 

 

 

プライベートミュージアムの可能性

 

 こちら(クラマタデザイン事務所、世田谷区内)に来る度に思うのですが、倉俣さんのインテリア作品がほとんど現存しない今、ここは倉俣さんの世界観を感じられる貴重な空間です。先日、美恵子さんからお聞きしたことですが、世田谷美術館では、向井潤吉アトリエ館や宮本三郎記念美術館など、世田谷在住の芸術家の自宅や所縁の場所を分館(プライベートミュージアム)として公開している例があります。ここもそのようなかたちでプライベ―トミュージアムとして活かしていくこともできのではないでしょうか? 倉俣さんの世界観が体現された空間だからこそ、倉俣作品も生き生きと見えてくるように思いますがいかがですか?

 

倉俣 そうですね。ただ、先ほども触れましたが、倉俣本人は「物は残らない・・・」と達観していました。ですから自分の作品も知人や友人に惜しげもなくプレゼントしていました。倉俣にとっては作品を構想したり、制作するプロセスが重要だったのだと思います。だからこそ、完成した作品を写真にとどめておくことにはこだわっていたと思います。

 

 私はデザイン誌の編集者時代、倉俣さんの作品の撮影現場に何度か立ち合わせていただきました。 記事にする際、カメラマンをどなたにしましょうか?とお尋ねすると、今回はこの人にお願いできるとうれしいですと、カメラマンを指名してくださるのですが、ご自身が撮影現場に立ち合われることはありませんでした。ただ、上がってきた写真を見ていただくと、ああ!こんな風に撮ってくれたんですねとか、これは面白い写真ですねといって喜んでくださることもあれば、押し黙ってしまわれて満足されていないんだなと感じることもありました。その様子はまるで、倉俣さんとカメラマンが写真を通して対話をしているようで、今でも印象に残っています。

 

倉俣 プライベートミュージアムに関しては、この場所、倉俣の作品に触れていただくことは私にとっても嬉しいことですが、不特定多数の方々を対象とした常設のミュージアムとなると、クリアにしなければならないことも多く、一個人としては荷が重たいというのが正直なところです。もともと、ミュージアムを想定した建物でもありませんし、ご近所への配慮、資金や運営、また継続性を考えるとハードルは高そうです。
それから、倉俣は自分の作品やデザインが、ある種の権威として残っていくことを「よし」としていなかったと思います。ですから、記念物、展示品として陳列されるだけでは嬉しくないのではないかと思うのです。私も単なる展示品としてよりも、資料としてこれからのデザインに役立っていくことを望んでいます。

 

 そうですね。貴重な資料をいかにこれからのデザインに役立てていくが重要なのだと思います。そのためにも時代に合った新しいミュージアム、いや、デザインをテーマとしたスペースの在り方を模索することが大切ですね。「ミュージアム」という形式は西欧で誕生して発展した訳ですが、その枠組みを超えた新しいかたちを模索すべきかもしれません。この「デザインアーカイブ実態調査」の最終ゴールは、新しいデザインのアーカイブやミュージアムを探ることでもあります。

 

 

 

倉俣作品のソフトの継承

 

 さて、話が変わりますが、倉俣作品には三保谷硝子、イシマルなど、高度な技術と情熱を持った職人さんたちの存在を欠かせません。完成した作品はもちろん、そこに至る制作プロセスも大切なデザインアーカイブであると思います。

 

倉俣 その通りだと思います。三保谷硝子さんは、三保谷さんご自身が職人として倉俣のデザインアイデアの具現化にとても熱心に取り組んでくださいました。イシマルの石丸社長はアクリル、金属、塗装など、高度で専門的な技術をもった職人さんたちとのネットワークをもって、倉俣のデザインを実現してくれていました。今、そうした職人さんの高齢化が進み、廃業したり跡取りがいなかったりといった状況だと聞いています。時代が変わって入手が困難な材料や素材もあるでしょう。

 

 倉俣作品の実現を可能とした職人技、技術なども何らかのかたちで記録しておきたいですね。
他、2121の倉俣展ではビデオなども流しましたが、倉俣さんご自身が登場する貴重な資料でした。

 

倉俣 あの頃は現在のように映像を気軽に記録できる時代ではありませんでしたが、国内外の展覧会の折に制作したビデオや、テレビ番組などの映像も保管しています。これらは、生前の倉俣史朗を知っていたいただく貴重なものだと思っています。

 

 本日は貴重なお話をありがとうございました。倉俣さんのアーカイブについては、引き続き、三保谷硝子さんやイシマルさんのお話も伺っていきたいと思います。

 

 

文責:関康子

 

 

問い合わせ先 

倉俣史朗さんのデザインアーカイブに対するお問い合わせは、
NPO法人建築思考プラットフォームのウェブサイトからお問い合わせください。

http://npo-plat.org

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

プロダクトデザイナー

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川上元美  1940年生まれ

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水戸岡鋭治 1947年生まれ

藤江和子  1947年生まれ

川崎和男  1949年生まれ

宮城壮太郎 1951年生まれ*

 

 

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粟津潔   1929年生まれ*

永井一正  1929年生まれ

田中一光  1930年生まれ*

勝井三雄  1931年生まれ

福田繁雄  1932年生まれ*

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中條正義  1933年生まれ

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松永真   1940年生まれ

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八木保   1949年生まれ NEW

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インテリアデザイナー

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杉本貴志  1945年生まれ

植木莞爾  1945年生まれ

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テキスタイルデザイナー

粟辻博   1929年生まれ*

 

CI

中西元男  1938年生まれ

 

デザインミュージアム・デザイン機関

DNP文化振興財団

国立近代美術館工芸館

JIDAデザインミュージアム

富山県立新近代美術館

金沢工業大学建築アーカイヴス

柳宗理デザイン研究所 NEW

トヨタ博物館

 

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。