WORKSHOP

「日本のデザインアーカイブの実態調査」事業関連

第四回ワークショップ

       黒川雅之さん(後編)

「細分化した職能を再統合しようとした黒川雅之の挑戦的人生」

 

開催日 2018年10月4日18:30~
開催場所 株式会社K&K
主催 NPO法人 建築思考プラットフォーム
協力 株式会社K&K 物学研究会

plat黒川雅之
plat黒川雅之

Report

レポート

概要

今回のワークショップは、第三回に引き続き、黒川雅之さんに登場していただいた。前回は、建築とデザインの近代化に多大な影響を与えた事件の「目撃者」という立場から、50年以上にわたるデザイン人生について駆け足で語っていただいたが、今回は黒川さんのデザイン思想に焦点を当て、その壮大な世界観を深掘りすることを目的としている。
参加者は、デザイナーや教育関係者など計36人。「前編」を受講していない人もいることから、前段は前回のレクチャーのおさらいを兼ねて、日本の近代化の歴史の概要、メタボリズムやアーキグラムが活躍した1960年代から、情報革命が本格化した2000年代までに遭遇した出来事についての概要を、中盤からは創作活動における重要なキーワードとして「生命のエンジン」「概念の群れ」「畏怖の領域」「余白」を挙げながら、東洋思想や人間の本質にまで話を深め、ご自身のデザイン思想と、デザイナーが磨くべき能力についてお話しいただいた。
以下に、その概要をレポートする。


黒川雅之
レクチャーの風景と仕事場の写真(写真/NPOデザインアーカイブ撮影)

 

 

 

 

創作における三つの原則と一つの思想

大学院に通いながらGKインダストリアルデザイン研究所(以下、GK)で働いていた黒川さんは、30歳を目前にした1967年に独立し、黒川雅之建築設計事務所を設立した。当時から、職能を細分化して効率を追求する近代思想のあり方に疑問を抱いていたことから、自分はオールラウンダーを目指そうと心に決め、創作における三つの原則を掲げた。

 

三つの原則

1)レオナルド・ダ・ヴィンチになる(領域の融合)
2)10人以上の組織にしない(自己の中での領域の融合)
3)職人になる(「絵に描いた餅」で終わらせない)

一つ目の「レオナルド・ダ・ヴィンチになる」には、分断された領域を融合して「創る」という原点に回帰するという意味が込められている。二つ目は、すべての領域の創作を総合的に手がけるために巨大な組織にはせず、スタッフは10人までに留めるということ。そして三つ目が、紙に図面を描くだけでなく、ユーザーとの接点まで一気通貫で手がける職人になるというものだ。
「近代は、人間が組織の中で部品になってしまう恐ろしい時代だと思いました。けれども、将来は、個人がネットワークでつながる時代に変わるはずだと感じ取っていたので、一人ひとりがトータリティをもつ人間に戻ったら、再びつながればいいと考えたのです」
この原則は現在も守られ、スタッフは10人前後という規模を維持しながら、建築だけでなくインテリア、家具、プロダクトなどあらゆる領域のモノづくりを手がけている。また、製造と販売を行う株式会社Kを設立。さらに自らの著書を発行する出版部門も立ち上げた。

 

「小さいことはいいことだ」という思想

この三つの原則を現在まで守り続けてきたのはなぜか。改めて思い返すと、その根底に「小さいことはいいことだ」という思想があったと黒川さんは言う。これは、「小さいもので大きなものをつくる」という発想により、今までとは違った新しい世界を見出すという考え方である。たとえば、「人類」「空間」というような巨大な概念よりも、「私」「君」「ここ」「これ」という身近な概念で捉え、そこから大きな概念に結びつけていく。なぜなら、自分の身近にある概念は小さくとも、その中には濃縮された大きなものが入っていると感じたからだという。
この思想を元にしてつくられたのが、GK時代に手がけた「家具で建築をつくる」「部屋で住宅をつくる」「住宅で都市をつくる」というコンセプトであり、それを具現化した「家具住居」(※第三回ワークショップレポートを参照)である。

 

黒川雅之 黒川雅之
黒川雅之

「小さいもので大きなものをつくる」という発想の原点となったGK時代の作品

 

 

 

 

「生命のエンジン」を刺激し活性化する

約50年のデザイン人生のなかで、黒川さんが育んできたデザイン統一理論がある。それは、「デザインとは何か」を考えるときには、まず「人間の命はエンジンのようなものだ」という大前提を頭に叩き込むことだ。たとえば、人が生きるためには酸素を吸う必要があるが、そのためにはあらかじめ息を吐く必要がある。また、おいしい食べ物で満腹になりたいと思ったら、その前に空腹でなければいけない。こうした真逆の状態を行ったり来たりするのが生命活動であり、それはまさにエンジンの動きと同じなのだと黒川さんは言う。つまり、人間はハングリーな状態こそが本質で、そこから意欲、夢、希望といった衝動によって突き動かされながら生命を維持している。このことを前提にして考えると、初めてデザインのあり方が見えてくるという考え方である。
「安心・安全な空間をつくると言いますが、それらは本来、不安で不安全な状態にならないと生まれて来ません。むしろ今は転ぶ前に助けるような過保護な時代になり、立ち上がるエネルギーが失われてしまっていることのほうが問題です。だから、デザイナーは不安定で不安な生命を鼓舞して活性化しなければいけない」

このような、生命を刺激して活性化するという考えは、東洋の思想だと黒川さんは言う。
「たとえばツボを刺激して人が本来もつ力を引き出す鍼灸のように、東洋人は生命の偉大な力を信じています。重要なのは、そうした生命の神秘に対して“畏怖の念”を抱いているということです。恐れ多いという感覚とは、ドキドキすることであり、尊敬することであり、謙虚になって一歩下がること。僕は、それが“美”というものの正体ではないかと思うのです」

 

 

 

 

創造の四つの段階

黒川さんの創作活動は、以下の四つの段階を大切にしている。
1)意識による「概念の創出」
2)世界は「概念の群れ」
3)概念化を保留した領域=「畏怖の領域」
4)神秘的なものへの接近=「畏怖の領域の挑発」

まず、混沌とした世界の中から突出した特徴を「意識」することにより「概念」を発見することから始まる。次に、その概念の周りにいくつも存在する「概念の群れ」に注目し、それらをどのように構成するかを考える。こうして複数の概念をリンクさせながら、一つの大きな概念につくり上げていく。
そしてさらに重要なのが、概念化することができない「よくわからない部分=畏怖の領域」について考えること。そしてその畏怖の領域に刺激を与え、計画の中に取り込むことに挑戦する。それに成功すると、目にはっきりとは見えない曖昧なものだけれども、人を感動させる何かが生み出されるのだという。

そうしたプロセスがわかる黒川さんの仕事がある。一つは、数寄屋の概念から生まれた椅子だ。まず、まだ椅子という概念が存在しなかったとき、人はそれをどのように発見したのかを考え、次に数寄屋の空間を小さくした「建築としての椅子」をつくり、そこから徐々に周りを削るというプロセスを経て、最終的な椅子をつくりだした。ほかにも、時計が本来もつ「正確性」という概念を覆し、あえて偶然性が支配する不正確な世界を時計で表現したり、あるいはガラスがもつ「壊れやすさ」という概念を意識して、壊れそうに見えるグラスをつくったりするなど、概念をさまざまなかたちに操作しながら、感動的な概念を新たに生み出していくのである。
また、現在進行中の中国のプロジェクトでは、住宅の原点である洞穴の概念を意識して、中国の窰洞(ヤオトン)のように土の中にある家を地上に持ち上げたようなイメージの概念模型に仕上げたという。

 

黒川雅之

数寄屋から椅子が生み出されるまでのプロセス

 

黒川雅之

正確性を覆し変形した時間を表現した時計

 

黒川雅之

ガラスの壊れやすさを意識したグラス

 

黒川雅之

掘り出された洞窟と光の欠片をイメージした概念模型

 

 

 

 

恐れおののく能力を磨き、余白をデザインする

黒川さんは、空間の先にモノがあるのではなく、モノが空間をつくると考えている。
「何もなかったところにモノを置くと、その周辺の様子が変わるのがわかります。つまり、モノ=概念があることによって空間が生まれるということです」
そして概念が集合すると、それぞれがコラージュのように共鳴しながら、第三の意味を生み出し始める。これらを取り巻く空間が「よくわからないもの=畏怖の空間」として存在する「余白」で、そこには、偶然の美、神秘的な出来事、震えるような感動など、目には見えない偉大な何かが保留されている、という考えだ。
たとえば、尾形光琳「風神雷神図」の金箔の部分や、龍安寺の「枯山水」の砂の部分が余白に当たる。また、藤田嗣治が描いた裸婦像は、キャンバス全体に塗った乳白色の下地を余白として使い、女性の神秘的な肌を表現することに成功している。
下の画像は、黒川さんが設計した住宅で、光と影の関係性によって余白を生み出している。
「白い天井と壁、黒い床が『風神雷神図』の金箔に相当します。そこに家具という概念を配置して、それによって出来上がる空間をつくり出そうとしています」。
ほかにも、中国で行った展示会では、青や赤に光る室内を天地と捉え、棚を影として表現した茶室や、図書館を出展している。
このように、余白の部分をデザインするのがデザイナーの仕事であり、デザイナーは「恐れおののく能力」が大事だというのが黒川さんの考えだ。

こうした心情を的確に表している例として挙げられたのは、伊勢神宮を参拝した西行法師が詠んだ和歌である。

「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
(どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません)

「この心情こそが畏怖の念そのもの。そういう心境でデザインすることが僕は重要だと思っています。概念化できないあいまいな領域、これこそがまさに僕らがデザインすべきもの」と黒川さん。
目に見える確実なものだけを追いかけていては、震えるような感動は与えられない。一方で、生命のエンジンは常に発奮させられる刺激を求めている。それに応えるために、黒川さんは恐れおののく能力に日々磨きをかけている。

 

黒川雅之

光と影がつくる「余白」により無限の広がりを感じる空間を生み出す

 

黒川雅之 黒川雅之

青や赤に光る室内を天地、棚を影として表現した茶室(青)と図書館(赤)

 

 

 

質疑応答

―― 新しいアイデアやデザインは、余白から生まれるということでしょうか。

 

黒川 まずは「全部わかった」と思うことから始めるのか、それとも「わからない」と思うことから始めるかが重大なポイントです。西洋では、神が世界をつくったということが大前提なので、そもそも「わからない」と考えることがなかった。けれども東洋は、自分の手には負えない要素があるということを大前提にした思想をある。それが余白のなかに現れているのではないか、と僕は理解しようとしているわけです。
また、たくさん表現したいことをすべて吐露するのではなく、抑え込んで、凝縮して、象徴化する。これは、日本人の思想のベースである「禅の思想」に通じることですが、こうした「抑制」がデザインの本当の姿ではないかと思っています。

 

―― 黒川さんが主宰されている物学研究会という勉強会の今年度のテーマは「役立つことから美しいことへ」ですが、先ほどおっしゃった「すでにわかっていること」は「役立つこと」、「わからないこと=余白」は「美しいこと」につながっているようにも思えました。

 

黒川 「役立つこと」というのは、たとえばこの机に置いてあるペットボトルのことで、「感動」というのはこのボトルの周辺で起こる事件のことですから、おっしゃる通り余白の部分に美が詰まっているということと関係していますね。
ただ、僕が物学研究会でそのテーマを出した理由はもっと単純で、デザイナーがあまりにも使い勝手や機能ばかりを語ることに対し、危機感をもったからです。
「愛している」とは気恥ずかしくてなかなか言えませんが、「好きだよ」というのは比較的簡単に言えます。同じように、「美しい」と言うよりも「かっこいい」「かわいい」と言ったほうが楽です。だからこそ楽なほうに流されず、本気で「美」について議論すべきではないかと思うのです。

 

―― 「美」というのは主観的な感覚なので、人によって共感できる部分とそうでない部分があると思います。お話を拝聴しながら、黒川さんの思想が反映されたモノに、他者はどれくらい入り込めるのだろうか、また逆に他者の生活に黒川さんの思想がどれくらい入り込めるのだろうか、と感じました。

 

黒川 僕は客観という言葉を根底から否定しています。一人ずつ自分の主観による美意識があるのであって、客観的な美というものはありません。ユーザーのためにとか、ユーザーの立場でと言いますが、他者になることは絶対に不可能ですから、僕が使いやすくするにはどうしたらいいか、と主観的に考えることしかできません。そうやって僕が命をかけてつくったコップをいいと思う人は買うし、嫌だったらノーと言う。一流のお寿司屋さんは、お客に意見を聞かず、自分が最高に美味いと思うものを、自信をもって出しますよね。それと同じです。好きなように取って食べる回転寿司のようなデザインは、価値のないもの、レベルが低いものになってしまいますから。
人に意見を聞くよりも、お互いに挑発しあい、刺激しあい、それを受け止める。人と人、概念と概念、それぞれが共振し、共鳴してできる「群れ」のネットワークが、現代のコミュニケーションのあり方だと思っています。

 

―― 黒川さんが事務所を立ち上げるときに「小さいことはいいことだ」という思想をもっていたというお話がありました。マーケティング調査を参考にしながら、自分のデザイン力を活かしつつ、なるべく多くの人に受け入れられようという発想ではなく、それよりも自分自身が納得いくものをピンポイントでデザインするということが、「小さいことはいいことだ」ということなのでしょうか。

 

黒川 誤解されがちなのですが、メーカーが自分の技術や思想で提案する時代ではないですか、ということが言いたいのです。おいしいお寿司屋さんは、みんな自分で提案していますよと。単に人の意見を聞いてつくるというマーケティングは否定しますが、時代を読み取るための努力は欠かせません。実際に僕は、今の社会状況を深く把握するために、ものすごい勢いで勉強して、そこから僕の思想によってモノを創造しています。だから、ピンポイントに時代に合ったモノがつくれるのです。
おそらく、社内で企画を通すための説得材料としてマーケティングをされているという部分もあると思います。ただ、本来はマーケットというよりも時代を先読みして、自分の意見として提案するかたちでデザインするべきではないかと思います。

 

 

 

HEARING & REPORT

どうなっているの?
この人たちのデザインアーカイブ

What's the deal? Design archive of these people

調査対象については変更する可能性もあります。

調査対象(個人)は、2006年朝日新聞社刊『ニッポンをデザインしてきた巨匠たち』を参照し、すでに死去されている方などを含め選定しています。

*は死去されている方です。

 

SPECIAL PROJECT

PASS the BATON

倉俣史朗を語ろう

シンポジウム開催

倉俣史朗(1934〜1991年)は、60年代から80年代にかけて活躍した伝説的なデザイナー。
その人物と仕事は世界中の人々を魅了し続けています。
没後30年を前に「倉俣史朗の入門編」として、過去から現在、未来へと若い世代に倉俣のデザインをつなぐシンポジウムを開催しました。

 

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