日本のデザインアーカイブ実態調査

DESIGN ARCHIVE

Designers & Creators

杉浦康平

デザイナー、アジアの図像学研究者、神戸芸術工科大学名誉教授

 

インタビュー:2017年12月1日 15:00〜17:00
取材場所:杉浦康平プラスアイズ
取材先:杉浦康平さん、加賀谷祥子さん
インタビュアー:関 康子、石黒知子
ライティング:関 康子(概要)、石黒知子(本文)

PROFILE

プロフィール

杉浦康平 すぎうら こうへい

デザイナー、アジアの図像学研究者、神戸芸術工科大学名誉教授

1932年 東京生まれ
1955年 東京藝術大学建築学科卒業
1956年 高島屋宣伝部を経て独立、デザイン事務所を主宰
1961年 毎日産業デザイン賞(現・毎日デザイン賞)受賞
1964年 66年ドイツのウルム造形大学客員教授
1982年 文化庁芸術選奨新人賞受賞
1987年〜 2002年 神戸芸術工科大学教授
1997年 毎日芸術賞受賞、 紫綬褒章受章
2010年~ 神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所所長

杉浦康平

Description

概要

杉浦康平はグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナーとして空前絶後だ。言葉通り、それ以前にはなく、それ以降もない……そんな存在である。
杉浦の前後には原弘、亀倉雄策、ほぼ同世代には永井一正、勝井三雄、田中一光、仲條正義など、グラフィックデザイン界を牽引してきた個性的なデザイナーがたくさんいる。そんな綺羅星のごとき世代にあっても、杉浦しか実現できなかっただろう仕事を成し遂げてきた。それを何と表現すればよいのだろうか。グラフィックデザインは、ポスター、パッケージ、シンボルマーク、イラスト、エディトリアルなど二次元の世界での表現である。そういう意味では杉浦のエディトリアルデザインは二次元に納まっている。しかし、印刷された用紙が折られ、束ねられ、裁断されて雑誌や書籍という形になってページをめくると、そこに表現されている文様や図案、ダイヤグラムが二次元から三次元へ、さらには時空を超えた四次元の世界へと読み手をいざなうのだ。
人を圧倒する多彩で重層的な仕事は、杉浦の飽くなき探求心と思索を経てもたらされていることは確かだ。しかしそれだけではなく、雑誌や書籍が社会や文化に大きな影響力をもちえた時代にあって、編集・出版という畑を一緒に耕す情熱的な人々との出会いも見逃してはならない。『SD』の平良敬一、『銀花』の今井田勲、細井冨貴子、『都市住宅』の植田実と磯崎新、『遊』の松岡正剛、『エピステーメー』の中野幹隆、『噂の真相』の岡留安則など、情報を収集するだけでは飽き足らず、コンテンツの仕込みから始めるようなユニークな編集者や表現者との、食うか食われるかの真剣勝負こそが杉浦のエネルギーと発想の根源だったのではないだろうか。
そういう意味では、「杉浦の仕事=時代のアーカイブ」であり、猛スピードで生活や文化が上滑りしていく現代にあっても、杉浦が深く打ち込んだデザインの杭はそう簡単には引き抜くことはできないだろう。長い思考を経て生み出される杉浦ワールドは、文化の伝達手段が光の点滅であるデジタル技術に置き換わろうがこれからも空前絶後の光を放ち、人々を魅了し続けるだろう。

Masterpiece

代表作

■雑誌デザイン

『都市住宅』鹿島出版会(1968〜70)、『季刊銀花』文化出版局(1970〜2002)、
オブジェ・マガジン『遊』工作舎(1971〜79)、『エピステーメー』朝日出版社(1975〜79、1984〜 86)、『噂の眞相』噂の眞相(1980〜2004)ほか

 

■ブックデザイン

「講談社現代新書」シリーズ講談社(1971〜2004)、「角川選書」シリーズ角川書店(1973〜95)、
『伝真言院両界曼荼羅』平凡社(1977)、ロジェ・カイヨワ、森田子龍『印』座右宝(1979)、
『天上のヴィーナス・地上のヴィーナス』三浦印刷(1982)、『西蔵〈曼荼羅〉集成』講談社(1983)、
『大百科事典』全16巻 平凡社(1985) ほか、ヴィジュアル・コミュニケーション

 

■その他グラフィックス

シンボルマーク 多摩動物公園(1973)、国立歴史民俗博物館(1991)、富山県[立山博物館](1991)、
ブータン王国記念切手(1983~89) ほか

 

■著書

+松岡正剛『世界のグラフィックデザイン<1>ヴィジュアル・コミュニケーション』講談社(1976)
『日本のかたち・アジアのカタチ(万物照応劇場)』三省堂(1994)
『かたち誕生(万物照応劇場)』日本放送出版協会(1997)
『宇宙を呑む――アジアの宇宙大巨神の系譜(万物照応劇場)』講談社(1999)
『生命の樹・花宇宙(万物照応劇場)』日本放送出版協会(2000)
『宇宙を叩く―火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響き(万物照応劇場)』工作舎(2004)
『杉浦康平 デザインの言葉』1~3、工作舎(2010~2014)
ほか多数

 

■編著

『アジアの本・文字・デザイン――杉浦康平とアジアの仲間たちが語る』トランスアート(2005)

 

■作品集

『疾風迅雷――杉浦康平雑誌デザインの半世紀』トランスアート(2004)
『マンダラ発光――杉浦康平のマンダラ造本宇宙』クリエイティブワールドライブ2007実行委員会(2007)、DNPアートコミュニケーションズ(2011)
『脈動する本――杉浦康平・デザインの手法と哲学』武蔵野美術大学 美術館・図書館(2011)
『時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み――杉浦康平ダイアグラム・コレクション』鹿島出版会(2014)

杉浦康平作品

Interview

インタビュー

作品の収蔵、関連蔵書の収蔵、作品研究、そして展覧会。
その4本柱を一挙に進めようという計画でした

分散していた作品や資料がアーカイブとして動き出す

 杉浦康平さんはこれまでの膨大なお仕事をアーカイブとして整理され、武蔵野美術大学に寄贈されたと伺っています。その経緯をまずご説明いただけますでしょうか。

 

加賀谷 杉浦デザインの作品は主に書籍と雑誌ですから、初期の頃はできあがった順に箱に入れて、押し入れや倉庫にしまっていたそうです。それが膨大な量になり、何がどこにあるのかわからなくなってきたので、1985年頃に1回目の大整理をしたと聞いています。講談社に場所を借りて、「講談社現代新書」や「角川選書」など、シリーズごとに、雑誌はタイトルごとにまとめて整理したようです。
杉浦は、長らく、自身の作品展をしなかったのですが、2004年(72歳のとき)にギンザ・グラフィック・ギャラリーで、「疾風迅雷――杉浦康平雑誌デザインの半世紀」展という雑誌デザインに特化した展覧会をやることが決まりました。その展示物をそろえるために、あちらこちらに預けていたものを一堂に集めて整理したのが2回目の大整理です。大きく雑誌と書籍に分け、書籍はさらに単行書、新書、選書、写真集、美術書、事典、辞典、全集などと分類し、なかでも杉浦が大事な作品だと思うものをAA、次いでA、Bとランク付けまで行いました。また、そうした刊行物だけでなく、デザインプロセスが読みとれる版下や校正刷りなど、付随するものもたくさんたまっていました。

 

杉浦 その校正刷りというのが、私の場合、とても大事な資料なのです。なぜかというと、その時代の印刷技術の最先端が詰めこまれたものだからです。私は出版社の営業を通さずに、印刷所の技術者と直接やりとりすることが多く、一種の印刷実験のような作品づくりをしていたので、その軌跡がわかる校正刷りはまさに大事な資料なのです。

 

加賀谷 『疾風迅雷展』は大好評で、国内3か所で巡回展を開いた後、韓国のパジュ出版都市、中国の深圳、北京、南京、成都などを巡回しました。私が杉浦事務所の仕事と直接に関わったのはこの『疾風迅雷』展の企画を手伝い、図録の編集を担当してからです。事務所のマネージャー役を担うのは2009年からですが、それまでは杉浦事務所在職歴28年のベテラン、佐藤篤司さん(1981~2009年在職)が中心となり、デザインの仕事をこなしながら数名のスタッフとともに作品の管理も行っていました。
2008年初め頃から、膨大にためこまれていた作品や関連資料をどうするか、展覧会を開けないか、などを考え始め、杉浦事務所のOBスタッフとの相談会を開いたり、松岡正剛さんのご意見を伺ったり、神戸芸術工科大学学長の齊木崇人さんに相談したりしました。齊木学長にはぜひ収蔵したいとおっしゃっていただいたのですが、大学として受け入れ体制が整っておらず、そのときは実現しませんでした。そこで、武蔵野美術大学の現在の学長である長澤忠徳さん――当時は学長補佐をしておられましたが――に相談しました。長澤さんはその昔、杉浦事務所でアルバイトをしていたことがあるからです。
ちなみに神戸芸工大では、杉浦事務所OB(1976〜96年在職)で2006年から神戸芸工大教授でもある赤崎正一さんが、2012年ごろから杉浦デザインのポスターなどを収集し、学内で共同研究するプロジェクトを立ち上げて、小展覧会を開いたり、杉浦へのインタビューを冊子にまとめて刊行したり、といった活動を始め、今も続いています。

 

杉浦 武蔵美の基礎デザイン学科の創立者である向井周太郎さんは私の古くからの友人で、まず向井さんに尋ねてみたら、「ちょうど今、長澤さんが学長補佐をしていて、80周年記念事業の一環として、美術資料図書館を新たに「美術館・図書館」として新築する計画に深くかかわっています。この話は何か実を結ぶかもしれない」と教えてくださり、長澤君につないでくれたのです。それで長澤君に電話をしたら、飛び上がるように喜んで、「ぜひうちの収蔵品にさせてください」と言われました。武蔵美は2009年に創立80周年を迎えるため、その記念事業を計画していたのです。長澤君とともに、当時の美術資料図書館館長の神野善治さんと事務部長の本庄美千代さんが強力なリーダーシップを発揮されて、私の事務所内だけでなく竹尾の倉庫や書籍保存専門の倉庫などに保管していた膨大な作品群と関連資料を移管するプロジェクトチームが発足したのです。
長澤君とは昔、ロンドンで一緒に古本屋を訪ね歩いた経験もあったので、彼は私が収集してきた図像本についても理解し、蔵書の大半をデザイン参考資料として収蔵することにも関心を示してくれました。さらに、視覚伝達デザイン学科の寺山祐策教授、基礎デザイン学科の原研哉教授の協力を得て、私の作品研究を共同研究プロジェクトのテーマにしたいと言ってくれました。つまり1)全作品の収蔵、2)デザイン資料と関連蔵書の収蔵、3)デザイン手法と造形思考に関する共同研究、そして、4)新しい美術館・図書館での作品展の開催、という4本の柱を一挙に進めようという計画でした。

 

 すばらしいですね。そのようなダイナミックで総合的なアーカイブの計画はこれまで耳にしたことがありません。

 

杉浦 そこまでダイナミックにひとつのプロジェクトを広げて、しかも体系付けてやろうという考えは、ほかではできないことでしょうね。私たちもびっくりして、果たしてそんなことが可能なのか、とすら思っていました。

 

加賀谷 でも、実際にはそこからが大変でした。まず、倉庫などに預けている作品とデザイン資料、関連蔵書をこちらでまとめて整理し、目録を作成しました。作品は書籍が約5千冊、雑誌が約2千冊、ほかにレコードジャケットや切手など。ポスターはすでに美術資料図書館が早くから収集していたので助かりました。そしてデザインのプロセスがわかる資料として、手書きのスケッチや構想メモ、版下、校正紙、刷り出しなどが膨大にありました。デザイン参考資料としての蔵書は3500冊ほどでした。

 

杉浦 自分の作品を大学や博物館などに預けたいと願っている人は少なくない。でもそれを実現するのはたやすくありません。私の場合は、よい人脈とタイミングに恵まれたのだと思います

 

加賀谷 グラフィックデザイナーは大勢いますが、杉浦の場合は、日本のグラフィックデザインの変革者として、ビジュアルデザインという範疇を超えて、いろいろと新しい工夫を生み出した点や、思想的なバックグラウンドがきちっとしていることが評価されたのだと思っています。

 

日本やアジアの視点でデザインを導いた資料群

 

杉浦 日本のデザインを支える基軸は、なんといってもヨーロッパ志向なんですね。両足をどっぷりヨーロッパに立脚しているデザイナーが90%ぐらいいるのではないか。自分がどのような経緯でデザインを始め、社会との関わりを持ちはじめたのかを考えるときに、アジアや日本の問題が頭のなかからすっかり消えてしまっている人が多い。私の場合には、1960年代にドイツのウルム造形大で客員教授として招かれたのですが、そこで逆に、日本人は、日本あるいはアジア文化の上で立ちあがらなければならないということ、またそれを立脚点にすれば20世紀以後の新しいデザイン観が見えるはずだ、という確信をもつことができたのです。この転換点が大きかったと思います。60年から70年にかけて、ヨーロッパ、あるいはアメリカの影響からデザインの脱却を試みるというスタンスをもつ人が、グラフィックデザインの世界ではほとんどいなかったということだと思います。
でも例えば建築の分野では、そのような民族性――つまり文化的な差異に着目した人はかなり多かった。私は藝大の建築学科を出ているので、グラフィックの世界とは少し違う視点がもてたのでしょうね。
ともかく、私の蔵書に関して、熱心に収蔵に動いてくれたのは、従来のデザイン資料とは立脚点が異なる資料が杉浦のもとにはあるに違いない、と思われたためだと考えます。
私が集めた本は5千点くらいありますが、その3分の2がアジア関係の本です。これは、どこの図書館にもないようなものも含まれています。なぜなら私がアジアを旅行するたびに現地の書店、古書店や博物館で購入したりもらったりしたものをそのまま所持していたためで、その内容を長澤君が十分に理解してくれていたということでしょう。長澤君は、世界のデザインを論じる視点をもった貴重な人材なので、彼独自の視野のもとで、杉浦コレクションをしっかり構築していこうと考えてくれたのだと思います。ともかく、さっきも言いましたけれど、作品の収集だけでなく、作品の背後にある多彩な資料も一緒に集めるということ、それから作品研究と同時に展覧会をやるということを実行してくれたのは、特筆すべきことでした。

 

 前例のないすばらしいことですね。

 

加賀谷 長澤先生は武蔵美のいくつかの学科の先生方に声をかけて、2009年度から2011年度まで3年間にわたって共同研究プロジェクトを立ち上げて、杉浦自身によるデザイン手法と造形思考を分析してDVDにまとめる作業を杉浦事務所に業務委託してくださいました。例えば2009年度は、「『一即多、多即一』の思想とブックデザイン」と「マンダラ造本宇宙」の二つのテーマで研究し、2010年1月に武蔵美で公開講演会を開いて研究成果を発表しました。その成果をまとめたDVDと小冊子はパッケージにして、武蔵野美大に納品しています。

 

杉浦 2時間の講演会のためにスライドを400〜600枚用意したので準備が大変でした。講演の記録もDVDに収めて、図書館でいつでも閲覧できるようになっています。私のブックデザインの手法がどのように構築され、深められたかがわかるようになっています。

 

加賀谷 タイポグラフィや文字組、杉浦の大好きなノイズについての研究成果もDVDと小冊子にまとめられています。こうした研究の積み重ねによって、2011年秋に杉浦デザインを回顧する「脈動する本 杉浦康平・デザインの手法と哲学」展を開くことができたのです。
展覧会の展示には実物だけではなく、パソコンでつくった画像や映像を多用しています。2004年の「疾風迅雷」展以来、優秀なスタッフの新保韻香さんとの共同作業でデザイン手法を解説する動画をたくさんつくってきたのです。杉浦のデザインプロセスが立体的に、動的にわかるように工夫されています。その背景にあるアジアのデザインとの関わりも見てとれるようになっています。

 

杉浦 こうしたことは、やはり本という、知恵の結晶体の助けがあったからできたことでしょう。古代からずっと人類の叡智を保存しつづけたメディアが、今、電子メディアへと移され、さらにいろいろなメディアとともにもみほぐされて、なお独自性を発揮できるか。このアーカイブをもとに、いろいろと論じられる点があると思います。

 

加賀谷 「疾風迅雷」展のときには、優秀なプログラマーの木村真樹さんにお願いして雑誌の検索エンジンを開発してもらいました。

 

杉浦 コンピュータの画面上に私がデザインした40種の雑誌の表紙が、宇宙空間に漂う遊星群のように浮遊していて、例えばその中の『銀花』を選ぶと160冊からなる表紙が大円環をなして現れるといったシステムで、画期的な試みでした。

 

加賀谷 その経験に基づいて、「脈動する本」展ではシリーズもの、例えば講談社現代新書や角川選書などのバックナンバーを一挙に見ることができる検索エンジンをつくってもらいました。こうした検索エンジンはパソコンのバージョンが上がると使えなくなるのが弱点ですが、コンピュータならではのおもしろさがあります。

 

 ところで、杉浦さんはエディトリアルを中心としたデザイン活動をするかたわら、アジアの文字やデザイン、歴史に関する研究も同時にされてきたのですね。

 

杉浦 そうですね。私は『日本のかたち・アジアのカタチ』や『かたち誕生』『宇宙を叩く―火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響き』など、「万物照応劇場」と名付けたアジア図像研究の本をいくつとなく執筆している。また、アジアンデザインのエッセンスともいうべきおもしろい話を取り出して、講演したりしています。

 

 アーカイブや講演会が、その再編集であり集大成になっているのですね。

 

杉浦 デザイナーの場合には、自分の作品の話で終始することが多いのだけれど、私の場合には、付帯研究でアジアの神話学やマンダラ論、ヨーロッパの錬金術などに関する研究がもう一方の柱としてあるのですね。そうした資料が今回のアーカイブ化でまとめられました。

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチが絵を描くために身体解剖や自然の探求を行ったのと重なります。

 

杉浦 アジア図像の研究は、70年代・80年代を中心に取り組んできたのですが、アジアも90年代後半になると大変貌を遂げてグローバル化し、かつての豊かさが失われていきます。80年代までの活力溢れたアジア文化やアジア図像のおもしろさは、たぶん私が集めた資料や研究で記録されたものが最後ともいえるかもしれません。貴重なものがいくつとなくあると思っています。

 

 もう二度と手に入らないようなものが、杉浦さんのコレクションにはあるということですね。

 

杉浦 そうですね。

 

加賀谷 そうした杉浦の図像本コレクションの特色について記した文章があります。
「杉浦康平は、30代前後から蔵書による「図像博物館」を夢見て書物を蒐集している。テキストよりも図像を重視し、大型本・小冊子を問わず、貴重な図像が一つでも掲載されていれば入手するという姿勢で集めてきた。とりわけ図解(ダイヤグラム)や地図化されたものは重要で、図解発想の基礎になる本が揃えられた。
文化圏別では、アジア図像に主眼が置かれ、主にインド、中国、韓国、タイなどの東南アジア、イスラム文化圏、そして日本の図像が重点的、精力的に集められている。基本になるテーマは神話的図像、民俗学的資料、とりわけ宇宙論的な図像、図解。ヨーロッパ本もその延長として数多く蒐集された。
政治、社会制度、経済などは除き、それ以外の多くのジャンルから様々な形の図像が集められている。宇宙論、機械論、事物の起源、その歴史的展開についての本もある。美術の世界では、幻想絵画をはじめとし、神話的な図像研究を主題とする本、錬金術の展開など数多い。」 これらのアーカイブ化や共同研究などは、武蔵美の予算だけで対応できるものではなかったので、長澤先生も事務部長の本庄さんも知恵を尽くして資金を集めてくださいました。
武蔵美の先生方や美術館・図書館のみなさんの協力を得て、作品と資料、蔵書などを移管する一方、3年間の共同研究の成果をもとに展覧会の構成や展示デザインを考え、同時に図録の編集も進める…というぎりぎりのスケジュールで進行しましたが、何とか予定通りに2011年の10月から展覧会を開くことができました。

 

現代では再現し得ないブックデザイン

 

杉浦 展覧会は、ただ単に私の仕事の回顧として発表するだけではなく、スタッフはもとより、印刷所や編集者、多くの人々の共同作業の成果を披露する場なのです。それぞれの人たちが「私もやったぞ」という実感をもてるような記録にしなきゃいけないと意気込んで構成しました。

 

 このアーカイブはまさに、血と涙と青春の結晶なのですね。

 

杉浦 そうそう。だからアーカイブを整理するときから、加賀谷やスタッフの助力を得て、必死の思いでやりました。こうした志で向き合ったので、生きた資料になったのだと思います。もちろん、武蔵美の美術館・図書館のみなさんの熱意と奮闘にはどんなに感謝してもしきれない思いです。移管・整理作業の最初から現場担当だった村井威史さんの頭のなかにはアーカイブの全体像がしっかりと刻みこまれていて、今も情熱と責任感をもって担当してくださっているのは心強い限りです。

 

 仕事のプロセスが先におっしゃったように、印刷実験そのものだったわけですね。

 

杉浦 例えば、豪華装本の美術書プロジェクトではチベットマンダラやボッティチェルリの復刻版の再現に努力したり、テキストの文字を数十ページ箔押ししたり、コロタイプ印刷を精密に再現することに苦労したり、さまざまなことを試みてきました。大日本印刷や凸版印刷の製版スタッフがしょっちゅう私のところに相談に来ていたし、私自身も普通の人が入れてもらえないような印刷現場に夜中でも押しかけたりしながら本をつくっていた。一時期は、相当な量の本をつくっていたんです。古代から中世、現代に至るまで、千変万化のテーマが私のところにやってきました。百科事典の装幀もする。さらに科学本もあれば、現代哲学や心霊に関する本なんかもある。まさに森羅万象がみな本になるので、それに対応したブックデザインをするためには、著者と同じとはいわないまでも、かなり深いところまで向き合わなければならないと思っていました。「影」ひとつをテーマにするにしても、地面に落ちる影が実際にどんな格好をしているのかを探るといった具合で、それぞれの本の内容に肉薄すべくデザインしていたので、その資料となる本をいつも探していた。いろいろなものが必要になる。ただ単に本が好きだから本を集めるというのではなく、必要に応じて、それぞれのテーマに対応するための裏付けとして、本や資料を集めることを同時に行ってきたのですね。

 

 グラフィックデザイナーの方は、作品が複製できることもあり、プロセスの部分は廃棄してしまい、結局はポスターしか残っていないケースが多いように思われます。杉浦さんは本の方なので、プロセスを残されているのではないかと推察していましたが、お話を伺い、まさに期待通りでした。

 

杉浦 私の場合も、手書きのメモのようなものは容赦なく捨てざるをえない。少し乱暴な言い方をすると、多くのグラフィックデザイナーは、絵描きの延長なんですね。絵を描く人たちと張り合うような意気込みで、1枚のポスターのイラストを描きあげていく。ポスターは壁に貼るので、裏がない仕事、つまり片面ですんでしまう。それに対して本のデザインの場合は多面性があって、何十ページ、何百ページがないと本にはなりえない。そうした意味で、テーマの増幅の手法がポスターの場合とは全然違うんです。そんな異なるメディアを主軸にしているので、私の場合には基本的に、画家と力比べをするような意思は毛頭ない。むしろどうやって奥行きのある多ページ的な思考法を造形化するかに興味があるわけです。だから、1枚に凝縮していくというようなことはあまりやりません。

 

 これまでのお仕事をアーカイブとして拝見し、その濃密さがあまり桁外れで興奮してしまいました。今は本が売れずお手軽ものしかつくれない時代になってきています。時代を変革されてきた杉浦さんの存在を改めて強く感じました。杉浦さんは、お幸せですね。

 

加賀谷 振り返るとまさにラッキーだったと感じますね。

 

杉浦 あるメディアから次のメディアへ移行するタイミングに出会えたり、出版社が従来のものから変えていこうとするときに合致したり、要するに節みたいなところに私がたまたま居合わせたというようなことが、数多くありました。その場、その場で必死に考え、思い付いたことが、振り返ると、その時代の革新であったり、先取りであったりした。幸運もあったと思っています。でもやっぱり、私自身の努力もあったと思う。深く深く追求するので、通常の10倍くらいの労力を要します。仕事の総量も多いなかで、本当に死にものぐるいでやってきたと思います。今だから笑い話のように言えるかもしれないけれど、寝ずの仕事をかなり続けてきたし、必死でした。夜の7時頃になって、ようやく朝食を食べることも少なくなかった。3日眠らずに仕事し、電車に乗ってつり革につかまりながら寝ていた、とかね。そういうことはしょっちゅうありました。

 

 本当に一時も無駄にせずに積み重ねてきたものが、今アーカイブとしてかたちになり、その残っているという事実が、再び人を感動させているのだと思います。思いつきでパッパッパとできあがるものは世にたくさんあふれていますが、突き詰めて完成したものしか実がないことを今日実感いたしました。

 

杉浦 今から振り返ると、それぞれの時代において一流だった、というような人たちが、私に仕事を持ってきてくれたことも多々ありますね。出版業界においては、花盛りで最盛期となった時期がちょうど私がブックデザインを手がけたときとぴったり重なっていたという幸運もあります。だから普通は抵抗が強くてできないことも、おもしろそうだからちょっとやってみようかとか、苦労を厭わず出版社や技術者とともに挑戦することができた時代でもあったのでしょうね。

 

加賀谷 武蔵美の美術館・図書館では、杉浦アーカイブを生きた形で保存・活用するために、展覧会後もいくつかの取り組みをしてくださっています。今もアーカイブのデジタル化に向けて作業が進行中です。今日は時間切れでお話しできませんが、その後の進展については武蔵美の美術館・図書館に取材していただければと思います。

 

 素晴らしい軌跡ですね。杉浦さんのアーカイブにつきましては、ぜひ、次回の取材として武蔵野美術大学の美術館・図書館また神戸芸工大を取材し、アーカイブ情報を補完したいと考えております。本日はありがとうございました。

 

 

杉浦康平さんのアーカイブの所在

 

問い合わせ先

武蔵野美術大学 美術館・図書館 http://mauml.musabi.ac.jp

〒187-8505 東京都小平市小川町1-736
Tel:042-342-6004
Fax:042-342-6451

e-mail:m-l@musabi.ac.jp

担当:村井威史