日本のデザインアーカイブ実態調査

DESIGN ARCHIVE

University, Museum & Organization

武蔵野美術大学 美術館・図書館

長澤忠徳

 

インタビュー:2018年7月2日 15:30〜17:30
取材場所:武蔵野美術大学
取材先:長澤忠徳さん、沢田雄一さん(美術館・図書館グループ 図書チームリーダー)、
村井威史さん(同グループ 図書チーム)
インタビュアー:関 康子、石黒知子   ライティング:石黒知子

PROFILE

プロフィール

長澤忠徳 ながさわ ただのり

武蔵野美術大学学長
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート シニアフェロー

1953年 富山県生まれ
1978年 武蔵野美術大学卒業後、渡英
1981年 ロイヤル・カレッジ・オブ・アート卒業
    (専攻はグラフィック・インフォメーション)帰国後、事務所開設
1987年〜15年間、グッドデザイン賞の審査委員を務める
1999年 武蔵野美術大学デザイン情報学科の専任教授に着任
2015年 同大学長就任

Description

概要

武蔵野美術大学の美術館・図書館は、図書館と美術館、博物館の機能をあわせ持つ、美術大学ならではのユニークな「知の複合施設」である。1967年に開館した「美術資料図書館」を母胎とし、2010年に美術館・図書館へ名称を変更、図書館は新たに建て替えられた。図書は美術、デザイン、建築の分野を中心にした31万冊と雑誌5000タイトル、展覧会カタログ5万冊、20世紀のデザインに関する貴重書などを所蔵し、美術系大学の図書館として日本有数の規模を誇る。美術館には3万点のポスターと400脚の近代の椅子、歴代教員の作品を中心としたコレクションのほか、生活用品や玩具なども収蔵し、企画展も行っている。さらに、宮本常一の在任中より集め始めた生活用具や民具9万点が保管される民俗資料室と、2万点の映像を所蔵するイメージライブラリーを併設している。
2008年、文部科学省「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」の採択を得て「造形研究センター」が設置され、美術館・図書館が所蔵する図書や作品をはじめ、イメージライブラリー、民俗資料室の資料など、造形に関する多大な資料の保存と公開のためのデータベース構築が進められている。また2012年、同大学は東京ミッドタウンデザインハブに参画、美術大学として初めてデザインの発信基地「武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ」を開設している。
現学長の長澤忠徳さんはロンドンのデザイン大学院大学を卒業後、デザインプロデュースや評論、戦略立案などを手掛け、デザイン振興支援活動と国際デザイン情報ネットワークの構築に長らく尽力してきた。そんな経歴を持つ長澤さんに美術大学におけるデザインアーカイブの在り方、デザインミュージアム、そして同校で行っている杉浦康平のデザインアーカイブについて伺った。

 

 

武蔵野美術大学 美術館・図書館

Interview

インタビュー

「ミュゼオロジー」から「インスティテューショナル」へ
資料を大事に扱うならば、永続的に費用がかかります

図書を作品として扱ってきた武蔵美の歴史

 昨年、デザインアーカイブについて杉浦康平さんにヒアリングしたところ、武蔵野美術大学の積極的な取り組みと長澤さんの活動を説明してくださいました。まずは、長澤さんは、1990年より武蔵美で教えていらっしゃいますが、アーカイブに興味を持つようになった経緯について伺いたいと思います。

 

長澤 その杉浦康平アーカイブについての具体的な説明は、追って図書チームリーダーである沢田さんと担当の村井さんに語ってもらいます。僕の教育者としての活動は1986年、多摩美術大学で「色彩研究」を教えたことに始まります。1990年より本学の基礎デザイン学科で「デザイン論」を講じ、1999年に造形学部デザイン情報学科の創設にあたり専任教授として着任し、2015年より学長を務めています。大学では伝統ある図書や美術の資料の充実と、デザイン教育の国際化に力を注いできました。そもそもなぜ武蔵美の図書館がアーカイブに力を入れるようになったかを説明しましょう。現在は、美術館・図書館と呼びますが、以前は美術資料図書館と呼んでいました。図書は資料ですが、本学は昔から、図書を作品として扱ってきました。単に読むための紙の束を皆に公開するのとは異なる意識が伝統的にあるのです。大量生産型のプロセスは通しているけれど、本に投影された表現を大事にしようということで美術資料図書館が生まれたのです。大学は決して裕福ではなかったけれど、学生たちには手の届かないものを見せたいという気持ちで図書館を運営してきました。本学のアーカイビングの思想の根っこはここにあります。開館以来、家具やプロダクト、ポスターも集めていますが、図書はそれらと同じ作品であるという意識です。そうして集められた蔵書は、日本の美術大学では類を見ないものとなっています。杉浦さんも武蔵美の本に向き合う姿勢を知っており、だから托してくださったのだと思います。僕は、2003年に国際部長となり、以降、企画部長や学長補佐を務めました。2011年より評議員、2015年から学長を務めています。

 

 武蔵美の図書館の伝統があり、杉浦さんのアーカイブも可能となったのですね。

 

長澤 そして杉浦さんと武蔵美は浅からぬ縁がありました。1959年頃に、亀倉雄策さんが「グラフィック21の会」という次の時代のグラフィックデザインを考える会の活動を主宰されていて、杉浦さんは、山城隆一さんや田中一光さんらとともにこの会に参加していました。これが東京五輪のデザイン活動などにつながっていくのですが、後に武蔵美の基礎デザイン学科(以下、基礎デ)を創設する向井周太郎さんが1957年にバウハウスの流れを汲むウルム造形大学への留学から帰国した後に、同会に呼ばれて、ウルム造形大学やマックス・ビルのことなどをお話しされていたようです。これがきっかけで、向井さんと杉浦さんは近しい仲となられたようです。向井さんが1965年に基礎デをつくることになると、ウルム造形大の客員教授から戻られた杉浦さんは創立サポートメンバーとして力を貸しました。当時の杉浦さんは勝見勝さんがデザイン学科長を担う東京造形大学で教鞭を執っていましたが、基礎デでも授業を行っています。向井さんから見たら、杉浦さんは基礎デをつくったメンバーと言っても過言ではない存在なのです。僕は基礎デの8期生で、向井先生の紹介で杉浦事務所に出入りして杉浦さんに学んでいます。

 

 長澤さんが杉浦事務所でアルバイトされていたお話は、杉浦さんの取材で伺いました(詳細は『日本のデザインアーカイブ実態調査 2017報告書』杉浦康平レポート参照)。

 

長澤 僕が杉浦さんの事務所に通っていた当時は、活版から写植へグラフィックデザインの変化の時で、活況を呈していました。事務所には松岡正剛さんが雑誌『遊』の仕事で出入りされていたり、日本一と言われた写植の達人も出入りしたりして、巣窟のような雰囲気がありました。僕も多くの人と知り合えました。いろいろな人が集まり、仕事して食事して……。杉浦さんは、その写植の達人が出先から戻ってくるまで、自分だけは遅くまで夕飯をとらずに待っていたり……。杉浦さんは、自分を支えてくれる人に対しては、無条件に接するようなところのある人なのです。文字はもとより色へのこだわりや記憶も鋭いものがありました。そんな杉浦さんが集めているものは、本から何から学生の自分からしたら、それはもう憧れの対象でしたね。彼のトレードマークにもなっているインドのクルタのシャツにも憧れていました。

 

 長澤さんも杉浦さん同様に、立ち襟のジャケットをいつも身に着けていらっしゃいます。

 

長澤 杉浦さんのアドバイスもあり、僕はその後、ロンドンに留学し大学院大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で学んだのです。その留学の際に、亡き夫人の冨美子さんが餞別として詰め襟のジャケットを仕立ててくださいました。冨美子さんは杉浦さんの名プロデューサーでもありましたが、僕も大変にお世話になった恩人で、形見として今も詰め襟のジャケットや母手作りのクルタを着続けているのです。ロンドンでの留学中は、杉浦さんと度々会い、現地で世界の図像学などの貴重本の購入や配送を手伝ったりもしました。曼荼羅や図像本のほか、エッチングで刷られた天体図像の古い本をバラバラにしたものなども売っており、それらは杉浦さんのデザインの源泉となりました。日本で取り寄せても入ってこないような本ばかりでした。

 

 そうした杉浦デザインの源となった蔵書も武蔵美で収蔵されているのですね。

 

長澤 アイデアの源、制作プロセスを示す版下、作品のすべてを収蔵しています。杉浦さんは細谷巌さんとともに、写植になって日本で初めて文字の詰め貼りをした人です。文字を切って文字間を調整するのです。杉浦さんがデザインされた『教王護国寺蔵 伝真言院両界曼荼羅』(平凡社、1977)の制作時は、古い木版刷りした文字の欠けた縁を直線定規と雲形定規を使ってロットリングで直しました。直して写真で撮り、版をおこすという面倒なことを繰り返していました。カレンダーの数字も、一桁はそのままだと小さくなるので拡大しているのです。当時の刷版のフィルムがあれば、どんな仕事をしていたのか、どうやってつくったのかが一目瞭然です。杉浦さんにそれらは保存してあるかと尋ねたら、版下から何からすべて残してあるというので、まとめて引き受けることにしました。杉浦さんほど印刷に凝った人はいないでしょう。

 

 それはどのようにして整理されたのですか?

 

村井 今から3年前になりますが、杉浦先生が資料整理のために毎月、図書館に来てくださることになり、収蔵品一点一点についてこれは何ですかと確認していく時間をつくりました。アーカイブ資料の整理は杉浦先生から頂戴したコメントを拠り所として進めてきましたが、同時にこの時の聞き取り調査の記録もオーラルヒストリーとして非常に重要な資料となっています。現在は装幀作品のデータベース化に着手しており、近い将来の公開を目指しています。

 

学生に見せたいが、選ばざるを得ない

 

 それは素晴らしいですね、稀有な例だと思います。大学のミュージアムでそのようなアーカイビングを実践している例はほとんどありません。理想を語るのであれば、ミュージアムには展示とアーカイビングの両軸があり、アーカイブと研究活動は切り離せないものではあります。

 

長澤 ヴィクトリア&アルバートミュージアムを例にあげると、あそこは展示室の裏側の壁が二重構造になっていて、両側が下から上まで、ファイリングロッカーになっているのです。例えば、歴史的なマナー・ハウスのコレクションであれば、暖炉の引っかき棒まできちんと分類して収蔵しています。膨大なロッカーですが、それも現状で満杯になっています。そういうスケールで考えると、とても大学ではアーカイブとして持ちきれませんね。RCAも僕がいた当時は作品を買い上げていました。壁に作品を描く学生がいたのですが、買い上げることとなり学校は壁を切ったこともあります。アートをリスペクトしているのです。とはいえ、そのまま学校で作品を保持できないので、美術館に保管を委託していたようです。美術館には、アーカイビングするような体制と予算がついているからです。美術館はRCA コレクションと明記しながら、自分たちの作品として使うことができるのです。

 

 日本でもそのような体制になれば望ましいですね。武蔵美のアーカイブは先鞭をつけるものとなりましたが、受け入れる立場からの意見を伺いたいと思います。こういう形ならば受け入れやすいなど、ご意見はありますか。

 

長澤 正直な話をするならば、アーカイブするには、それを維持するための費用がかかることをまず念頭に置いてほしいと思います。受け入れる方は、受け入れて終わるのではなく、それらを大事に扱っていくには、その時点から永続的に費用がかかっていくことを意味します。本学に縁のあるデザイナーには教授として在籍した原弘さんをはじめ、粟津潔さん、勝井三雄さんなど、エポックメイキングなデザイナーが多数います。皆さん面白いものを持っているし、学生にも見せたい。でも費用を考えると選ばざるを得ないのです。作品や資料をもらえばもらうほどお金がかかり、大きな負担となります。これを受けとってどういう価値になるかをまず考えなければならないのです。

 

沢田 杉浦先生の資料のアーカイブ化は約10年前に始まりましたが、まさに手探り状態で進めました。スタート時は、5年経ったら一段落して次のものに進めるぐらいのイメージでいたのですが、現状でもまだあと何年かかるかわからない状況です。10年継続していくと、資金繰りは困難になります。武蔵美がデザイン資料のアーカイブ化を進められたのは、実は文部科学省から助成金を獲得することができたためで、その5年の有期の終了後は、資金捻出の苦しさを感じています。

 

印刷文化を示すアーカイブとして

 

 作品を整理し、明文化し、スキャンなどデジタル化し、という作業に人手と時間がかかり、経済的にも圧迫していくということでしょうか。

 

沢田 そういうことです。杉浦先生には整理にひとかたならぬお力添えを頂きました。ご寄贈元との緊密な関係なくしてこの仕事はできませんが、信頼を得て関係を築けば築くほど、アーカイブの中身も濃くなっていくという傾向があります。調べていくなかで新たなものが見つかったり、新たな事実が判明したりして、また振り出しにもどることも少なくありません。

 

 真剣に向き合っていくので、作品調査は切りがないものになりますし、最初に整理した段階のナンバリングも、やりなおさなければならないといったことも生じるのですね。

 

長澤 作品を預ける立場の人は、学校側がチームを作って動けば、資料の整理もなんなくできてしまうようなイメージなのかもしれませんが、実際には、作家本人を中心として分類や整理、作品を分散させずに集めておくといったことをきちんとしていないと、作業に手をつけることすらできないのです。僕たちは、どういうコンセプトで作品を描いていたのか、杉浦さんに語っていただき、3年かけてそれを映像化しました。これも大変な作業でした。将来、その造形思想を、版下や本、作風などから遡ることができるようにするのが狙いで、一体化した資料を集めておけば、印刷文化が消滅したときに貴重な資料になると考えたのです。

 

 一デザイナーの作品としてだけではなく、その当時の印刷文化がわかる資料として扱っているのですね。

 

長澤 写植が生まれ、実寸主義にこだわっていた杉浦さんに刺激され、タイポグラファーがそのノウハウをコンピュータに入れてたくさんの文字を生み出してきました。こうして本というものの位置づけが変わっていきました。その時代の日本で最大級の仕事をこなしたのが杉浦さんその人なのです。だからこそ本学で預かることにしたのです。あそこまでこだわり抜いた人は杉浦さんをおいてほかにはいない。武蔵美の図書館は、その杉浦さんをして信用に足るものになっていたということです。だからといって、膨大な維持費がかかることに目を向けず、私立の大学がアーカイブすべきだとプレッシャーを与えるのは間違っていると言いたいですね。

 

資金以上にシビアなのは人材の確保

 

沢田 杉浦先生の場合は、幸運な事例だったとしかいいようがありません。さらに延べ30時間、プロセス資料の解説をしてもらい映像に残すことができました。杉浦事務所に長く在籍された佐藤篤司さんも来てくださり、伴走者としてお手伝いしてくださった。何か分からないけれど貴重な資料が来たときに素人目線だけでやろうとすると、取り返しのつかないことになりかねません。専門家が判断しないとわからないことは多いので、専門家がいないと身動きがとれないのです。そうした学際的な協力者は資金以上に必要で、どれくらい充実したサポートメンバーがいるか、半永久的にかかわるという覚悟を持った人がいないと、アーカイブ化は進まないのです。その問題は、資金以上にシビアです。

 

長澤 具体的な話をわかっている人がいないような、プッツリ切れた状態になったら、アーカイブは死蔵品になってしまいます。また、受け身では資料を守り切ることはできません。BBCの番組で知ったことですが、ロンドンのナショナルギャラリーには、キーパーと呼ばれる専門家がいて大気観測をしています。来場者の整髪料や気化する薬品、化繊系の衣料がもたらす静電気、PM2.5から電磁波まで、現代社会が新たに発生させたものの影響により大気は変化し、どうなっているかを常にチェックしているのです。それらからどうやって作品を守るか。作品保存もクリエイティブな視点がないとできません。ほかにも現場の人たちは、下作業で膨大な時間を削がれることも多い。収蔵品を維持していく苦労を現場は背負い込んでいるのです。

 

沢田 維持していく労力というのは、歳月とともにジワジワ利いてくるようなところがありますが、アーカイブが生きたものになるように、常に私たちは努力しているのです。

 

 アーカイブには何が必要なのか、フォーマットすべきことですね。

 

長澤 それも含めて本来は国の仕事なのではないでしょうか。学費納入金で成り立つ私立大学では、こういうものを受け入れて運営していくには限界があります。本当に難しい問題です。

 

文化庁のアーカイブプロジェクトとは

 

 イギリスの私的なミュージアム、例えばロンドンのデザインミュージアムはどうなっているのでしょうか。

 

長澤 あそこは企画展は行いますが、コレクションはそれほど保有していません。運営は寄付に頼る部分も多いと思います。それで思い出しましたが、デザインミュージアムの竣工前の、英国政府がデザインを活性化させて経済を立て直そうとしていたときに、来日したマーガレット・サッチャー首相と話す機会がありました。その時に「これからはミュゼオロジーではなく、インスティテューショナルであるべきだ」と僕は進言しました。サッチャー首相も、納得されていました。ミュゼオロジーをやっていったら切りがないのですよ。

 

 武蔵美は、文化庁の「アーカイブ中核拠点形成モデル事業」をされましたが、これはどういう活動だったのでしょうか。

 

長澤 文化関係資料のアーカイブ化推進のための中核拠点として、グラフィック、ファッション、プロダクトの3分野について、その分野の「中核」となりえる機関が選定され、調査・研究を行うというプロジェクトです。グラフィックは京都工芸繊維大学美術工芸資料館、ファッションは文化学園大学和装文化研究所、そしてプロダクトは本学の美術館・図書館が公募に申請し、採択されました。

 

沢田 3カ年にわたり実施し、2018年3月で修了しています。国内ではどこが所蔵しているのか、どこでアーカイブされているのかといった情報を集め、そのノウハウについて調査するというプロジェクトでして、デジタル化しネットワークでつなぐというものではありません。武蔵美は早い段階からデータベースをつくりたいと提案したのですが、当初は「無理ではないか」と言われました。図書館業界には標準化された目録作成ルールがあり、データの管理は一元化されているので、一斉に検索することなども可能ですが、美術館の世界はそれぞれの美術館ごとのローカルルールで管理しているため、横串を通すことができないのです。研究要素がデータベースに入っていることもあり、情報公開に対してガードは堅く、図書館ほどオープンなスタンスではありません。美術品は入手経路ひとつ明かさないのが通例です。学内でも難しいという声がありましたが、あるクラウドサービスの存在を知り、突破口が開けました。早稲田システム開発が提供する美術館・博物館向けの収蔵管理システムで、そのクラウドサービスならばイニシャルコストを従来より格段に抑えられるというもので、すでに全国で200ほどの美術館や博物館が参加していました。そのクラウドサービスを利用し、アーカイブのフォーマットのプロトタイプのようなものをつくりました。

 

 今年の春で修了したわけですが、その活動はこれから継承されていくのですか?

 

沢田 その成果は現在、「アーカイブ中核拠点形成モデル事業」のホームページで公開しています(http://www.d-archive.jp)。

 

データベース化に伴うさまざまな問題

 

 生活文化という視点に立つならば、その3分野だけでは不十分ですね。

 

長澤 20世紀まではデザインは美術の中に位置づけられ、大きな位置を占めていました。でも21世紀はそれでは駄目でしょう。学生が卒業制作を3Dプリンターでつくるような時代です。データさえあればいいということになりかねません。この過渡期の面白さをアーカイブで残さないと、伝わっていかないでしょう。それは今、武蔵美のコレクションとしてできあがりつつある。来春、市ヶ谷に造形構想学部のキャンパスが新たに誕生します。その図書館に亀倉さんのコレクションが入ります。原弘さん、亀倉さん、杉浦さんまで、日本のグラフィックのシンボルというべき作品は、みな武蔵美に揃っているのです。グラフィックだけでなく、工芸・工業デザインの基礎を築いた豊口克平さんや佐々木達三さんも教鞭を執り、我が国の産業デザインの新しい幕を開けたのは武蔵美だったという自負もあります。武蔵美の図書館は、日本を代表するものすごいことをやってきていると思います。きついけれど予算配分も頑張って、苦労しながら選んできました。でも繰り返しますが、だからといって本学で無条件に作品を受け入れることはできないし、受け入れるべきであるとジャーナリストも書き立てないで欲しいと思うのです。

 

 イームズやコルビュジエは自邸を開放しながらアーカイブを維持しています。そのような方法を日本でやるのは難しいのでしょうか。

 

長澤 金利が高い時代は利息で回せていたので、そういう方法でも運営できたでしょうが、今は無理でしょう。学校はお金を生む装置がない。武蔵美は20年間、学費を上げずに運営してきました。これ以上高くしたら、親は払えなくなってしまうからです。アーカイブのために学費をあげることなどできません。ドネーションやフィランソロピーの精神に頼るしかないと思います。やはり文化庁が、コレクションに対し維持するための助成金を支給するといった体制をつくることが最善です。

 

 ファンドにアーカイブの資金を積み立てるようなシステムが必要ですね。

 

長澤 そうですね、ただし簡単ではない一面もあります。15~16年前に、政府の資金を活用しグラフィックのアーカイブを立ち上げるという英国のプロジェクトがあり、本学にデジタル撮影から何から一切の費用を出すから、自分たちのアーカイブにつないで、できたデータベースを共有しないかと誘われたことがあります。それは、バーチャルに作品を奪われてしまうことと等しいのです。作品を用いて展覧会を共有するのはいいでしょう。でも安易にデータベース自体を共有するつもりはありません。データベースを構築するためにこちらで掻いた汗はどこにいってしまうのか。こういう事例は、これからどんどん出てくると思います。

 

 学生にデータベース化への整理や作業を手伝ってもらったり、授業の一環で扱うという可能性はありますか。

 

沢田 それは寄贈元からも期待されることですが、昨今の学生は有償でないとなかなか協力してくれないのが現実です。授業で扱うのも、例えば建築であれば図面を見るのは必須ですし、それに触ることはグラフィック以上に求められていますが、今の学生に版下を触る意味が理解できるかという観点で考えると、カリキュラムに入れるのは難しいと言わざるをえません。

 

長澤 次の世代に伝えたら面白いと、信念を持っている先生が現れない限り、実現できないのです。だから図書館は先生たちを刺激するために、企画展を開催するわけですよ。でも情報が昔の何倍もある昨今、WEBでわかるから企画展で気付いてもらえるようなことは少なくなっており、クリエイティブなことをやりにくくなっています。今日は現場が言えない話を私立大学の学長として、あえて声に出しました。てらいもなく本当のことを言っています。本学は、日本のために、根性いれてやってきたと思っています。それでもアーカイブのキャパシティーを維持するのが限界に近づいてきているのです。多額のご寄付をお願いしたいというのが本音です。

 

 これまで伺えなかった受け入れ側の状況を知ることで、発想の転換が必要であることがよくわかりました。とても勉強になりました、ありがとうございました。

 

 

文責:石黒知子

 

問い合わせ先

武蔵野美術大学 美術館・図書館 http://mauml.musabi.ac.jp

 

〒187-8505 東京都小平市小川町1-736
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