日本のデザインアーカイブ実態調査

DESIGN ARCHIVE

Designers & Creators

喜多俊之

プロダクトデザイナー

 

インタビュー:2018年6月26日 15:30~17:30
場所:喜多俊之デザイン研究所
インタビュアー:久保田啓子 関康子
  ライティング:関康子

PROFILE

プロフィール

喜多俊之 きた としゆき

プロダクトデザイナー、大阪芸術大学教授
1942年 大阪市生まれ
1962年 浪速短期大学(現・大阪芸術短期大学部)
     デザイン美術科工業デザイン専攻卒業
1967年 IDKデザイン研究所設立(後、喜多俊之デザイン研究所へ改名)
1969年 イタリアと日本を拠点にデザイン活動を開始
2010年~大阪芸術大学教授

喜多俊之

Description

前文

今からおよそ40年前の1980年、「WINK」チェアの発表は、ビッグニュースとして日本のデザイン界を駆け巡った。なぜなら一風変わったその椅子は、イタリアの名門家具メーカー、カッシーナ社が当時ほぼ無名だった日本人にデザインを依頼したもので、ミラノサローネで注目されて翌年にはアメリカ市場でも大成功をおさめ、さらにあのニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されたのだ。無名だった喜多俊之は瞬く間に世界的デザイナーとして認知された。
一方当時の日本は、人々は衣食足りてようやく「生活文化」に関心を向けるようになり、またエットレ・ソットサスら仕掛けたデザインが一世風靡し、大都市では斬新なデザインのカフェやレストラン、プロダクトが多く出現していた。日本はまさに「デザイン元年」。喜多はそんな時代に大阪とミラノを拠点に活動の場を拡大し、デザインを深化させていった。
喜多の仕事にはイタリアを中心とした海外メーカーのためのデザインと、日本の地場産業や伝統工芸とのコラボレーションという2つのアプローチがある。共通することはマーケットがグローバルであり、そのデザインは譬えるならば「日本の素材を使った無国籍料理」である点だ。例えば、代表作であるWINKチェアは「まるで日本の畳の上で自由に座ったり寝転がったりできる椅子」だそうだが、体がすっぽり包み込まれるボリューム感やポップで明るい色使いは、直線的な形や生成り感を好む日本人のデザインには見られなかった特徴だ。また、日本に液晶テレビを本格的に根付かせた「AQUOS LC-20CI」 は、ハイテク感を薄めるためにあえて曲線を使い、有機的なデザインに仕上げた。それによって喜多モデルの液晶テレビは、その後10年にわたって「お茶の間のアイドル」として受け入れられることになった。
現在も日本とミラノを拠点に世界を駆け回っている喜多は、世界のデザインを体感し、人々と会話し、いくつものプロジェクトを同時進行させながら、彼独自のユニークなデザインを生み続けている。

Masterpiece

代表作

・「KYO」stile LIFE / 日本(1970) ・「TAKO」stile LIFE / 日本(1971)
・「WINK」カッシーナ / イタリア(1980) ・「KICK」カッシーナ / イタリア(1983)
・「二畳結界」stile LIFE / 日本(1986) ・「WAJIMA」stile LIFE / 日本(1988)
・「REPRO」stile LIFE / 日本(1988) ・「MIRAI」CASAS / スペイン(1989)
・「SARUYAMA」モローゾ / イタリア(1990) ・「RONDINE」MAGIS / イタリア(1991)
・「TWO POINTS WATCH」MIZ / 日本(1991) ・「MULTI LINGUAL CHAIR」CASAS / スペイン(1992)
・「AKI BIKI CANTA」カッシーナ / イタリア(1996) ・「DODO」カッシーナ / イタリア(1998)
・「液晶テレビ」SHARP / 日本(2001-2010) ・「ロボット WAKAMARU」三菱重工業 / 日本(2002)
・「ORI」ボナルド / イタリア(2004) ・「Neo Trevie」キューリグエフィ(2012)

 

主な著書

『喜多俊之のデザイン』六耀社(1990)
『紙と漆・伝統と復活』六耀社(1999)
『ヒット商品を創る デザインの力』日本経済新聞社(2001)
『Toshiyuki KITA The Soul of Design』アムズ・アーツ・プレス(2001)
『地場産業+デザイン』学芸出版社(2009)
『喜多俊之デザインの探検』学芸出版社(2012) 他

 

主な受賞

1981年 第九回国井喜太朗産業工芸賞 日本
1983年 プロダクトデザイン賞IBD賞 アメリカ
1985年 毎日デザイン賞 日本
1990年 デルタ・デ・オロ賞(金賞)スペイン
2011年 ゴールデンコンパス賞 国際功労賞 イタリア
2017年 功労勲章コンメンダトーレ受勲 イタリア
2018年 経済産業省・特許庁 知財功労賞 日本 他

喜多俊之作品

Interview

インタビュー

日本は、世界で一番よい製品をつくらないと
「席がありません」

日本とイタリアを拠点に活動

 喜多さんといえば、イタリアの名門家具メーカーのカッシーナで発表された「WINK」チェア以降、国際派デザイナーの先駆けとして活躍されています。そもそもミラノに行った経緯は?

 

喜多 子どもの頃から将来はイタリアに行くのではないかという予感がありました。直接のきっかけは1967年に欧州デザイン視察旅行に参加したときに、機会があってミラノで開催される見本市を訪れたことです。家具やキッチン、照明などの企業2000社ほどが新製品を発表していて、その別世界ぶりに圧倒されました。もっとイタリアやヨーロッパを知りたくて、翌年には中学生の頃に買っていた小さなイタリア語のポケット辞書を持って、3カ月の予定でミラノに旅立ちました。1年くらいミラノ暮しができる資金でできるだけよいものを見ようと3カ月で使ってしまう予定でした。その後、紹介してくれる友人がいて8カ月ほどミラノのデザイン事務所にお世話になって、その後家具メーカーのベルニーニ社のオリジナルデザインにたずさわりました。

 

 どのようなデザインを手掛けられましたか?

 

喜多 ベルニーニ社では1本のパイプ椅子、それからイタリアに行く少し前に日本の和紙職人との出会いがあって、衰退する日本の伝統工芸を復活させようと和紙を使ったデザインに挑戦しました。和紙素材の照明「TAKO」は、1972年にミラノの照明器具メーカー、ビルーメン社から発表されて話題になりました。1990年にモローゾ社から発表した「SARUYAMA」(写真1)ソファは、畳の上で自由にすごす日本の生活様式が発想の原点です。「SARUYAMA=猿山」というネーミング通り自由で遊び心満載のソファとして受け入れられ、最近もベネチアビエンナーレの本部ビル全館やニューヨークの空港にも採用されました。

 

喜多俊之作品

■写真1 Photo: Tom Vack

 

 

 そしていよいよ1980年に発表した「WINK」チェアですね。

 

喜多 カッシーナ社から依頼を受けたのは1976年でした。すでにベルニーニ製品や「TAKO」を発表していたので、「日本人らしいアイデアの椅子を」という注文を受けたのです。私たちの子ども時代は椅子とテーブルというと学校くらいでほとんどの家庭は座敷で畳の生活でした。そこで自由度が高く、姿勢によって形が変わる椅子をデザインしたいと、2年くらいでアイデアをまとめました。1980年に、テクノロジーを駆使した新しいコンセプトチェア「WINK」はサローネでデビューし、翌年にはWINKに合うサイドテーブル「KICK」(写真2)を発表しました。

 

喜多俊之作品

■写真2

 

 

地場産業はデザインで生き延びる

 

 WINKの成功以降も、家具はもちろん、液晶テレビやロボットなどさまざまなプロダクトデザインに取り組んでいらっしゃいます。最近、喜多さんが力を入れていることは何ですか?

 

喜多 長年取り組んでいる地場産業との仕事です。デザインは消費されていかないと前に進まないんですね。デザインには科学技術やニーズの変化とともに常にイノベーションが必要です。テレビもブラウン管から液晶や有機ELといった新技術でデザインは変わった。自動車も燃料がガソリンから電気になれば違った形になるでしょう。地場産業も同じで、その技術が優秀で価値があるときはいいけど、もっと優れた技術が出てきたら新しいものに変わる。だからこそ関わるデザイナーは常に時代の少し先を読んで、人々の暮らしやテクノロジーと職人芸のバランスを意識することが大切です。

 

 喜多さんは現代の日本の地場産業をどのようにご覧になっているのですか?

 

喜多 日本経済は戦後から高度成長期にかけて、その真面目な仕事ぶりと欧米のいいところを取り入れることによって、特に輸出産業で成功を納めてきました。80年代以降は技術革新などのオリジナリティを加えて世界的な評価を受けるまでになりました。ところが現在は中国をはじめアジアの国々が自国のマーケットの発達にともなって、デザインを取り入れることでさらに変貌しつつあります。そのなかで、日本の地場産業は世界を強く意識しなければなりません。

 

 喜多さんは中国の地場産業とも仕事をしているのですか?

 

喜多 最近、中国で宋時代の焼き物が発掘されて、それを現代風に復元するプロジェクトに関わりました。今年の1月ミラノ国際見本市で宋「SONG」シリーズとして発表されました。中国文化がかつて持っていた「花」「茶」「美食」「酒」という4つのテーマで40種類くらい開発しました。デザイン的には中国独自の焼物文化を未来のマーケットにつなぐことをテーマにし、そのため釉薬は宋の時代のままミネラルが中心のエコロジーなものを使っています。近年、中国各地では漆や焼き物などの伝統工芸、各地の地場産業の復活も始まっています。

 

 中国での地場プロジェクトがミラノという舞台でいきなり世界市場に打って出るのですね。

 

喜多 現在の中国企業の多くは、社長が30代、40代が中心でプロジェクトの進行はとても速く、3D図面を送るとすぐに3Dコピーでモックアップを仕上げてきます。現地に行くと社長から現場の担当者までの全員がモックアップを囲んで、製品化に向けて問題点を話し合って解決していきます。以前はデザインから試作完成まで早くても一年くらいかっていたのが、今はたった数カ月ということも多い。AIやIoTの台頭がさらに商品化を加速させています。

 

 日本の地場産業とはどうでしょう?

 

喜多 最近、国内で私が関わっているプロジェクトでは、「杉」と「竹」という国産素材と優秀な職人技術の融合が目標でした。日本は国土の7割が森林ですが木材自給率は3割程度、多くの自然資源が活かされていません。そこでデザインによって新しい木製品の可能性を切り開きたいと思い、3年ほどかけて取り組みました。
ひとつは秋田県の「杉」です。秋田杉は寒冷地でゆっくり育つので年輪がつまった軽くて美しい木目が特長です。県内の優れた職人や木工房に参加してもらって、椅子やテーブルなど10アイテムほどを開発し、昨年に続き「秋田コレクション」としてミラノ国際見本市で発表しました。加工技術は異なりますが同じ素材を使っているので統一感があります。地元の自然を活かした妥協のない丁寧な仕事が高い評価を受けました。
もうひとつが、島根県の「竹」です。竹の表面皮の節や繊維を残したまま平板に加工する技術によって新素材を開発しました。竹は土の中にあるときは食用にでき、地上に出てからは3、4年で成木となり、100年はもつという優れた性質を持っています。それだけでなく竹林は日本中に存在し成長も速い、まさに理想的なサスティナブル素材なのです。現在、幅70~100ミリで最長2メートルの平板材に加工できる技術を開発できたので、その平板を使って椅子、テーブルなどのアイテムをデザイン開発し、「フラットバンブーシマネ」というブランドで発表しました。「秋田コレクション」と「フラットバンブーシマネ」(写真3)は、ミラノ国際見本市を経て世界に展開される予定です。

 

喜多俊之作品 喜多俊之作品

■写真3

 

 

 

 地場産業と言っても、いろいろな課題があるのですね。

 

喜多 地場産業との仕事はいろいろなテーマがありますが、地場産業に関わる目的のひとつは「生活文化の復活」です。それがマーケットを活気づけ、結果的に産業経済の発展につながるのです。最近発表した北海道・旭川の「ホテルスペースデザインプロジェクト」では、質の高いホテルのインテリアをテーマに商品開発を行いました。ホテルの家具というと欧米を意識せずにはいられませんが、今回はあえて地元の豊富な素材、日本の生活文化と北海道の土着文化をテーマにしたのが特徴です。地元の家具工業会のメンバーが家具を試作して、6月に開催された旭川デザインウィークで発表しました。夏には東京でもお披露目しました。

 

デザインは生活文化から生まれる

 

 先ほど「生活文化の復活」とおっしゃっていましたが、もう少し詳しくお話しください。

 

喜多 この60年ほど、イタリアのデザインは「住まい環境の充実、人のコミュニケーション」が原動力となって発達しました。イタリアの豊かなデザイン文化は、生活や仕事場の快適性や実用性への飽くなき要求と、快適な生活の実践から生まれています。私のデザインの原点は、60年代末以降の変化の時代に、たまたまイタリアで生活できたことにあります。

 

 日本では、デザインはどちらかというと経済活動のひとつ、産業振興の道具といった見方が強いですね。生活を豊かにするということよりも、売れることが求められます。

 

喜多 先ほどお話ししましたが、今、アジアのデザインがものすごい勢いで発達しています。数年前、3年ほど中国政府のデザイン顧問を務め、生活向上とデザインの進展が生活文化と産業経済の発展に大きく貢献している様子を目の当たりにしました。上海や広州などではミラノサローネの2倍規模の見本市が開催されています。先日、上海の家電の見本市を訪問し、その発展ぶりに驚嘆してしまいました。都市部の中産階級の住環境は大変豊かになって、キッチン周り・・・例えばオープンやレンジ、冷蔵庫にAIが活用されています。例えば、スマフォとつながっていて料理レシピや保存状態の管理などのIoTの採用も目立っています。先日、イギリスのハロッズの家電売り場に行ったら、冷蔵庫も大型の中国や韓国の製品がたくさん並んでいました。

 

 中国製品の急成長の背景には何があるのでしょうか?

 

喜多 2007年頃より中国は「デザイン立国」を目指して猛烈な勢いでデザイン政策を実行しています。そのひとつが住宅政策です。新築の一般住宅でも平均130平米くらいあって、そこに最先端の家電製品や家具が置かれ、4Kテレビもすでに一般家庭に普及し始めています。この勢いは住宅だけに限らず、都市全体に波及し、さらに中国全土に張り巡らされる高速道路や新幹線などのインフラ整備も加速度的に拡大しています。

 

 では、日本の「住まい環境の充実」には、どのように取り組んでいけばいいのでしょうか?

 

喜多 日本人の平均的な暮らしぶりはアジア諸国に比べて大きく変わっていないことが気になっています。日常生活やその空間の質が向上しないと、デザインやものづくりも発展しないと思います。ここの部分をどう変えていくか、どう分厚くしていくかがこれからの課題だと思います。戦後に始まった日本の住宅政策は戦争の被害があまりにも大きかったためにインフラ整備に時間が取られ、生活文化の充実は後回しになったのではないでしょうか。戦後70年以上もたつのに未だに質よりも数の供給が重視され、一般的に「すてきな暮らし像」が描けていません。一方では少子化・人口減少・高齢化社会を迎え、すでに存在する耐震構造もクリアしている建物をどう活用していくかがとても大切だと考えています。そんな視点から2012年に集合住宅のリノベーションプロジェクト「リノベッタ」を提案し、実現に向けて多くの方々と奮闘中です。

 

 今後の日本のものづくりは何を目指せばいいのでしょう?

 

喜多 日本は、中小企業を中心にオリジナリティとハイテクをイノベーションに結びつけて、世界で一番よい製品をつくらないと「席がありません」という国です。そのためにはまず、多少狭くてもすてきに暮らす土壌としての「場」をつくっていかなければならい。「住まい環境の充実」は、日本のデザインが成長できる鍵であると考えています。

 

 日本では中国のようなデザイン政策がないのが残念ですね。

 

喜多 日本政府もデザインの重要性は認めています。2017年から経済産業省と特許庁が企画した「産業競争力とデザインを考える研究会」を土台に、2018年5月に「デザイン経営」宣言が発表されました。研究会の主な目的は、日本企業の国際的な競争力を強化していくためのデザイン政策の課題を洗い出して、その対応策を研究することでした。

 

アーカイブへの取り組み

 

 さて、日本のデザインに対して危機感を持っている喜多さんに、ご自身のデザインアーカイブについて伺いたいと思います。

 

喜多 数年前からやっと作品や資料の整理に取りかかっていますが、私は出かけてばかりで事務所を留守にすることが多いのでなかなか進んでいません。具体的には、プロジェクトごとに企画から設計図に至るデータ、写真などをアウトプットだけでなくCD化してファイルしています。それ以外では国内外の膨大な掲載記事、講演会の記録などを年度とテーマごとにファイルし、デザインした製品のカタログ類も保管しています。作品やモデルなどの立体物は、すべてではありませんが、今のところ別に倉庫を借りて保管しています。

 

 雑誌記事のファイルを拝見すると、海外の記事が多いですね。

 

喜多 イタリアを中心にフランスやドイツ、それから中国といった海外のメディアのほうが日本より多いです。大阪に来たからと言って、立ち寄ってくれる人も結構います。私は、この事務所は大阪のデザインサロンだと思っています。50人くらいは収容できるので、内外からお客様がいらしたときには小さな講演会やパーティなども開きます。地元のデザイナーや経営者も集まってくれるし、他にはない親密さがあるかもしれません。

 

 喜多さんはポンピドゥーセンターや新宿のOZONE、イタリアのミラノやピエモンテ州の教会(写真4)など、世界各地で個展を開催されていますが、そうした展示品はどうされているのですか? グラフィックデザインでは、ポスター展などが開催されるとそのまま現地の美術館に寄贈するケースがあるようですが。

 

喜多俊之作品

■写真4

 

 

喜多 作品は立体物が多いのでそのまま寄贈することは少ないですね。多くはメーカーの協力や自分の倉庫に保管することになります。大切だと思って保管していたけど、引越しの時に無くなったものもあってとても残念です。それに私の場合は、幸運にもMoMAやハンブルク美術工芸博物館、パリのポンピドゥーセンターなど、世界各地のミュージアムに多くの作品が収蔵されています。

 

 海外からの要請が多い理由は何でしょうか?

 

喜多 作品が海外のメディアに取り上げられたり、グローバルマーケットで販売されていることが大きな理由かもしれませんね。外国の記者に「キタのデザインは、日本文化とイタリアなどの外国の技術や文化も上手に取り込んでいる」と言われます。グローバル化するものづくりのなかで、デザインは日常に使われるものですから、そんな風に見てもらえることは嬉しいですね。

 

 お忙しいところ、ありがとうございました。

 

 

文責:関康子

 

 

問い合わせ先
喜多俊之デザイン研究所 http://www.toshiyukikita.com/jp/