日本のデザインアーカイブ実態調査

DESIGN ARCHIVE

Designers & Creators

川上元美

プロダクトデザイナー

 

インタビュー:2016年5月30日 10:30~12:00
場所:川上デザインオフィス
インタビュアー:関康子 浦川愛亜
ライティング:関康子

PROFILE

プロフィール

川上元美 かわかみ もとみ

プロダクトデザイナー
1940年 兵庫県生まれ。
1966年 東京藝大大学院美術研究科修士課程修了。
1966〜69年 アンジェロ・マンジャロッティ建築事務所(ミラノ)勤務。
1971年 カワカミデザインルーム設立。

川上元美

Description

説明

ボトルのデザインから橋のデザインまで、およそ人を取り巻く環境をかたちづくる日用品、家具、空間をデザインしてきた川上元美は、昨年まで客員教授を務めた多摩美術大学環境デザイン学科のWebの中で、このように述べている。「現場に於いて、デザインは空間ーひとー道具の関係のさまざまなシーンを見据えながら、手法としての多岐にわたる新旧の技術や素材、また直面している資源問題や住環境の劣化、高齢化社会、あるいは南北問題など、社会的、文化的諸々の因子を選択し、統合する作業や能力が求められています」。また、2011年に開催された「Motomi Kawakami Chronicle」展のカタログでは、「自分のデザインワークにおいては、生活者として重ねた経験から醸し出される美意識や良識の深まりを信じ、自然体で、真に豊かで快適な生活を具現化するデザインを目指したいと考えます」と述べている。デザイナーとしての第一歩を生活大国イタリアで踏み出した川上のデザインの底流には「豊かで快適な生活を実現する」という強い意思があるのだ。
川上の名を世に知らしめ、代表作の一つにも数えられるダイニングチェア、アルフレックスジャパンの「NT」は、今でも豊かな家庭のダイニングに置かれるチェアであり続けている。いまだに多くのセミナーやシンポジウム会場に置かれている「BRONX」は、デザイン性、座り心地の良さ、スタッキングもできる高機能性などで、カッシーナ・イクスシー社の名作として引く手あまただ。内田洋行のオフィスチェア「Pulse」も人気製品である。1994年に開通した「鶴見つばさ橋」は羽田空港と横浜ベイブリッジを結ぶ高速湾岸線の橋として建設され、京浜工業地帯の「雑然とした環境の中で調和と美しさを考えたデザイン」として高い評価を得ている。川上は流行に左右されることなく、社会や生活をより豊かにするための製品と環境をデザインし続けている。

Masterpiece

代表作

<プロダクト>

FIORENZA (1968)、NT(1976)、BLITZ [TUNE(名称変更)](1981)、CCC(1985)、Blendy (1986) 、
BRONX1010(1992)、有田HOUEN D hand A(2005)、StepStep (2008) 、Pulse(2009)、
HINOKI SUITE O-Bath(2010)、KISARAGI (2014)

 

<インテリア、イクステリア>

二期倶楽部那須ラウンジ(1986)鶴見つばさ橋(1994)沼津倶楽部(2008)

 

<書籍>

『雅致-川上元美の家具』(1986・六耀社)
『川上元美-人と技術をつなぐデザイン』(2002)・アムズ・アーツ・プレス)等。

川上元美作品

Interview

インタビュー

デザインは物とか空間などの実物がないと
本質的なことは伝わらない

川上さんにとってのデザインアーカイブ

 川上さんはデザインミュージアムと聞いて、どんなイメージを持たれますか?

 

川上 先年、金沢美術工芸大学附置施設として、柳宗理記念デザイン研究所が金沢に開設されましたが、渡辺力さん、秋岡芳夫さん等、先覚者達のアーカイブはどうなっているのでしょうか? ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、北海道の旭川に織田憲嗣さんという椅子のコレクターで、研究者がいらっしゃいます。織田コレクション協力会(http://odacolle.org/)といった組織もできていて、世界的にも貴重な椅子のコレクションを基に、勉強会や展覧会の開催、書籍の出版などの活動を行っています。北欧家具や生活道具を主体に、世界中から選りすぐりの椅子が2000脚ほど集められています。何年も前から、このコレクションがある旭川市で織田ミュージアム設置の計画がありましたが、ご本人の、生きたミュージアム創りへの思い入れも深く、なかなか進展しませんでしたが、ようやく隣の東川町で動き出しました。

 

 旭川というと、家具の産地で有名でしたし、最近では旭川動物園ですね。

 

川上 動物園ですか、そうですね。でも、もともと旭川は北海道の豊かな森林資源を活かして、日本有数の家具生産地として知られています。織田コレクションもミュージアムのようなかたちでまとめられれば、この地域の家具やクラフト運動とともに、世界からの集客も見込めると思います。

 

 川上さんご自身のデザイン資料の現状について伺いたいのですが、図面やアイデアスケッチなどはどうされているのですか? 川上さんは家具などの図面を原寸図で描かれていると聞いていますが……。

 

川上 はい、図面などは未整理のまま、オフィスの中においてあります。でも最近は、たいていはコンピュータで図面化していますが。

 

 モックアップというかスタディ模型のようなものは?

 

川上 物にもよりますが、椅子の場合では図面からすぐに現物試作をつくってもらって、ああでもない、こうでないと検討していきますので、スタディ用に制作した模型はほとんどありませんね。またモックアップは、僕がつくるというよりも工場がつくるので、プロジェクトが終了して時間が経つと処分されてしまいますね。実際、製品になったものだって、きちんと保管されているとは限らない世の中ですからね。メーカーのなかには自社製品をミュージアム的に置いておこうというところも出てきたようですけど、ほとんど残っていないのが実情です。

 

 川上さんご自身で倉庫を借りて、保管しておこうという発想はなかったのですか?

 

川上 一時そう思ったこともあったけど、切りがないから、もういいやってあきらめました。友だちや知り合いにあげてしまった物も多くあります。ただ、試作品は私にとっては、途中経過の姿であって、商品としてステップアップしたものがあるから、さほど重要ではありません。

 

 では、ある程度残っている物というと、図面だけですか?

 

川上 写真もありますね。

 

 要は嵩をとらない物ということですか?

 

川上 プロダクトの場合、特に家具類は場所をとるからそれを保管することはなかなか難しいです。現物ではありませんが、アーカイブという意味では「作品集」としてまとめておくことも、一つの方法だと思っています。僕は、作品集を今まで2冊出しています。1988年に「雅致—川上元美の家具」という六耀社で久保田啓子さんがまとめてくれたもの、もう一冊は2002年に「MOTOMI KAWAKAMI-Design with Precision and Flexibility」をアムズ・アーツ・プレスという大阪の出版社から出しましたが、すでになくなっていて、アナログでの印刷だったので印刷用のデータもどこに行ったかわからない。

 

 もったいないですね。

 

川上 ある意味ね。それで今、2000年以降の作品については、写真だけですが、自分で小さい冊子をつくっています。また各メーカーが作成した単品カタログがあります。

 

 川上さんのデザインは戦後日本のデザインの重要な足跡の一つだと思うんですが、ご自身は何らかの形で残しておきたいというお気持ちはありますか?

 

川上 ありますけど、妻に言わせると「いくら頑張っても、デザインは自然に消えて行くものだから……」と。実際、デザインの仕事、特にインダストリアルやプロダクトの仕事って、そういうところがあると思います。要は日用品をつくっているわけで技術の進歩や生活の変化でどんどん変わっていく。生き残る物は残るけど、大半は時間と共に消えてしまう……そういう性質のものだと思います。結局は芸術作品ではありませんからね。 でも、そんな冷めた気持ちでいる部分もありますが、一方で少しは足跡を残したいという気持ちもありますね。最近、出身校である東京芸術大学の美術館が、いくつかの仕事を収蔵してくれるというので寄贈しました。コンペのときのスケッチとか模型とともに2、3のプロジェクトに関する物だけですが渡しました。少しだけど、それでいいかなという思いもあります。

 

 東京藝術大学は素晴らしいミュージアムももっているし、展覧会も盛んに開催していますね。

 

川上 でも、絵画や彫刻などは所蔵しているけど、デザインはないのです。それで、最近ようやく始まったようです。時代なのですかね。そういう意味では武蔵野美術大学も椅子、ポスター、玩具などのコレクションがありますね。私の作品もいくつか収蔵されています。その他、ヴィクトリア&アルバート博物館、フィラデルフィア美術館、富山近代美術館などのミュージアムにも収蔵されています。

 

 他には、アイデアスケッチとかは、どうですか?

 

川上 浮かんだアイデアは、きちんとスケッチブックにまとめて描くというよりも、古いレターペーパーやその辺にある紙切れなどに描いたりします。ただ、全部残しているわけではなくて、その時々で残っている物もあれば、多くは捨ててしまいますね。

 

 というのは、最近のデザインワークはコンピュータ化された部分が多く、デザイナーのフリーハンドのスケッチやサムネイルなどが残りづらくなっています。しかし、創作の痕跡やデザイナーの足跡を辿るという意味で、直筆の絵は後々とても貴重だとは思います。

 

川上 今はちょうどフリーハンドとコンピュータの端境期ですからね。でも確かに、スケッチだと、それだけで伝わってくるということはありますね。考え方のアプローチや、デザインのコンセプトとか、その人のバックグランドや人柄が、スケッチから言葉や文字以上のことが伝わってきますね。かといって、僕自身はそうした物を丁寧に取っておくということはできていないなあ。

 

 川上さんは橋のデザインもされていますが、建築や都市をやろうとは思わなかったのですか?

 

川上 個人住宅の設計をしたことはあります。住宅の良し悪しはクライアント次第でもあり、また人間関係が濃密すぎるという部分を煩わしく思ってきました。家具などの物のデザインは造形とファンクションを同時に確かめながら、環境との関わりを考察して進めることができます。ただ、僕は閉ざされた空間そのものを考えるよりも、物から拡散的に環境空間へとつながっていくものなどより社会性の高いデザインに興味があり、パブリックなエクステリア・デザインなどと関わりたく思っています。

 

 でも、川上さんは家具のデザインが多いですから、住宅やオフィスデザインなどにも興味はおありですよね?

 

川上 以前、北山恒さんの建築の作品集を拝見して気がついたのは、2010年のコミッショナーを務められた、ヴェネチア・ビエンナーレの展覧会や住宅のデザインなどを見て、時代の変化をつくづく感じたことです。木質の素材が復活してきたり、生活のスタイルが多様になってきている。コーポラティブハウスとかシェアハウスというのかな、個室は確保されているけど、リビングやダイニングが共有だったり、一階レベルがオープンスペースで地域に解放された暮らしや住空間が登場してきています。こうした家族や生活単位の変化は、当然ですが建築のあり方も変わってきました。環境として新しい都市風景が生まれているわけで、このような状況には興味が湧きますね。家具や日用品のデザインをも変化していますね。

 

 生活も変わってきていますが、働き方やオフィスの在り方も変わってきていますよね?

 

川上 確かに、オフィスのあり方もそうです。人の働き方と都市、建築、オフィスといった空間デザインの関係性や変化をきちんととらえておく必要がありますね。要は世の中のニーズをその時代時代で把握しておくことです。

 

 把握するだけでなく、先を見通すことも重要ですね。

 

川上 僕がデザインしている家具は、メーカーにとっては製品であり、商品ですから、たとえば倉俣史朗さんの作品のような、コンセプチュアルで、時代のエッジを表現したユニークピースと、私がつくっている日常の中で使われるものとは違ってきます。こうしたデザインの巾は国の文化によっても、時代によっても、住環境によっても違ってくるわけです。デザインの仕事は「問題解決だ」と言われますけど、何が問題なのかの先見性が大事だし、それをどう形態化、物化していくかが、重要だと思うんです。

 

プライベートミュージアムという考え方

 

 川上さんのオフィスは、原寸大の図面やモックアップを検証するためにつくったとお聞きしました。

 

川上 そう、目線から上の空間の広いものが欲しくて、階高6mの空間をつくりました。壁に原寸のディテール図面を貼ったり、部屋に実物大の試作を置いたりして検証しています。特にコントラクト家具などは、ある程度大きな空間に置いてみないと、図面だけでは判断できない。思ったより大きかった、小さかったとか、スケールを実感するのに役立つと考えた時期がありました。

 

 本当にこのオフィスは素敵ですね。小さな中庭もあって外光が入って。これは川上さんの設計なんですか?

 

川上 渡辺明さんと一緒に設計しました。彼とはいろいろな仕事でコラボレーションしていたもので。これは90年代に人気のあった、メンソーリー工法でつくっています。要は型枠ブロックを積んで配筋をしコンクリートを注入する方法ですがここでは2層に積み上げて、地下部分は3層にして空気層を設け、あえてブロックの表面を荒磨きのまま見せています。そのため、通常以上にきちんと積んでいかなければならいから、職人さんたちには苦労をお掛けしたと思います。また、表面の「ノロ」を落とすのにわれわれも加わり、大変な思いをしました。

 

 ここをそのまま川上デザインミュージアムにすることもできますね。

 

川上 あちこちにプライベートミュージアムはありますが、実際、運営維持にはご苦労されているところが多いですね。名の知れた画家や彫刻家の美術館でも、その人の作品だけを陳列しているところは、企画展などを開催するわけでもないからリピーターも少なく経営的にも苦労されています。集客のためにレストラン・カフェをつくろう、ミュージアム・ショップをつくろうと言っても実際に行うとなると大変だし。財団化しても資金が続かなければ運営は困難です。

 

 スタッフが継がれるということはないのですか?

 

川上 結局、私個人に仕事の依頼が来ている部分もあるので、それを継いでいくというのも少し違うのではないかと思っています。ミュージアムということでは、多少のロイヤリティが残るのなら、それを使ってもらってもいいですけども。組織的企業であればスタッフも大勢いて、きちんと組織を繋げていく義務がありましょうが、僕のやり方は規模を大きくすることではありません。

 

 確かに、ミュージアムの運営という意味では組織化していく必要があるとは思うんです。しかし一方で、川上さんのように個人の凝縮した作品だからこそ、ミュージアムとして残しやすいということも言えると思うのですが。国内には、日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)などデザイン団体がいくつかありますが、アーカイブに関する活動の話は聞きません。

 

川上 デザインアーカイブをどうにかしようといった運動体はないけれど、JIDAは信州にデザインミュージアムを持っていますよね。年度ごとに製品をいくつか選定して残しています。機械製品がほとんどですが。今後、いろいろなデザインジャンルが集まってきて、きちんとアーカイブ化されて、ワークショップなどが定期的に開催されるような包括されたかたちになるといいでしょうね。ただインダストリアルデザインは静態保存ではなく動態保存をすべきだろうから、さらにハードルが高いですよね。

 

 動態保存というのは、実際に動くということですよね? スイッチを入れたらテレビが映るとか、エンジンをかけたら実際に走るとか。

 

川上 本当であれば、そこまでしないとインダストリアルデザインのアーカイブの意味は薄れますね。ただの形が並んでいるだけだと、それこそ単なる歴史博物館になってしまう。アメリカのスミソニアン博物館とかは動態保存をしているわけでしょ。でも実際問題、国の予算でならできるのでしょうが、個人とか一法人で維持、運営するのも大変です。以前、デザイン8団体による美術館構想などもあったのだけれどね。

 

 8団体もあるんですか?

 

川上 インダストリアルデザイン、グラフィック、インテリア、ジュエリーとか。私も8団体もあるのかって驚いた。行政のように縦割りに過ぎます、もっと横につながれば良いのですが。けれど、デザインミュージアム構想は過去にも何回か立ち上がって、その度にうまくいきません。実際、箱物をつくって、運営を考えて、経費を見積もると、経済的な余裕もないし、器をつくるよりも物を集めることの方が先だろう、とか、議論が一つにまとまらず、なかなか上手くいきませんね。

 

 大きな器にまとめてしまうのではなく、小規模な川上元美ミュージアム、倉俣史朗ミュージアムのようなものが点在していて、それらが互いにリンクされて、1枚のMAPにまとめられていて、訪問者はそれを手にして、ミュージアムと同時にその街を楽しむような、そんなシステムというか、やり方はないですかね? ヴェネチア・ビエンナーレなどは、2つのメイン会場がありますが、ヴェネチア中にある貴族の宮殿や館、街中のギャラリーがビエンナーレの会場として公開される。訪問者はMAPを見てそれらを巡るわけですが、それは同時にヴェネチアの街を散策することになっているというわけです。

 

川上 確かに、一つひとつは小規模でも、各ミュージアムが魅力的な作品や貴重な資料を持っていれば、それも可能だと思いますよ。現在、ITを駆使したデジタルミュージアムなどもありますが、デザインは物とか空間などの実物がないと本質的なことは伝わらないですからね。椅子はやはり実際に座ったり、触ったりできた方がいい。デジタルミュージアムも確かに重要ですが、情報でしかありません。我が国には、残念ながらいまだ、そのようなムーブメントを支えるパトロネージや文化が育っていませんね。

 

デザインアーカイブの変貌

 

 川上さんは作品の写真やスライドをたくさん持っておられるのですか?

 

川上 両方ありますよ。デジタル化もやっているけど、全部やると莫大な予算がかかるので、必要に応じてやっているという感じです。でもデジタルも画像劣化がありパーフェクトではないようで、厄介な時代ですね。

 

 試作などは保管されていますか?

 

川上 収まる範囲内で。多すぎて、必要ないものから捨てるしかありません。けれど家具の部品やメカニズム・パーツのようなものは比較的残してあります。あまり場所を取らないことと、デザインで一番面白い部分ですからね。

 

 川上さんの作品が掲載された雑誌とかはどうですか?

 

川上 スクラップ・ブックとかにはしていませんが、雑誌や本の現物にポストイットを入れて保管していますね。

 

 将来、デザインを学ぶ学生たちが川上さんのスケッチやアイデアの基となったモックアップや、原寸の図面に触れたり、研究したり、展覧会の企画に発展したりといったことができるといいですよね。

 

川上 そうね。十把一絡げで古物商に持って行ってもらうよりはいいと思うんだけれど(笑)。

 

 川上さんはデザインがコンピュータに置き換わっていくことに対してはどのようにお考えですか?

 

川上 私にとってアナログの実寸、原寸にこだわることの良い点はスケール感を常に実感できているというか、リアリティを感じながら仕事を進められることですね。一方、コンピュータ化されることで、いい部分もたくさんあります。オンデマンドに図面から製造につながるし、昔は修正が入ったら徹夜して作業に当たらなければならなかったけど、コンピュータはそうした時には管理ツールとしても大変便利です。 家具には仕掛かりという言葉あって、材料となる角材から形をとって、ほぞ穴などをあけて、一度ストックした部材を順番に組み上げていくわけだけど、コンピュータと多軸のCNCを使うとそれらがいっぺんにできてしまう。コンピュータが木取りまで考えてくれるんです。

 

 木取り?

 

川上 木材は自然素材だから木によって、柾目、板目とかの性質とか、目切れする・しないとか、要は木の性質を知らないと成立しないことが多い。ところが、コンピュータを使うと、図面を読み取って3次元まで自動化できる。以前は人がしていたことをコンピュータがいとも簡単に解決してくれるわけです。ただ、そうしたソフトをつくるためには、木の性質やモノづくりのプロセスを知っている人の存在が欠かせないこととまた、一方で従来の手仕事が廃れていくという危惧もあります。

 

 デザインの現場はこれだけ変わってくると、デザインミュージアムのあり方も変わらざるを得ないですね。

 

川上 そうですね。

 

 ところで川上さんはミラノのアンジェロ・マンジャロッティさんの下でデザインを勉強されていたわけですが、イタリアではデザインアーカイブはどのような扱いになっているのかご存知ですか?

 

川上 どうなっているのでしょうかね。4年前にマンジャロッティが亡くなった後、娘がミラノ工科大学の建築科の主任教授をしながら事務所を継ぎ、ほぼアーカイブ化を済ませて、事務所のトラスト化を模索していた矢先、後を追うようについ先日、亡くなってしまいました。番頭格であった所員も急逝し、混乱しているようです。現在、20年以上スタッフである日本人の女性が引き続きトラスト化に向けて活動しています。

 

 イタリアは巨匠が大勢いらっしゃいますよね。エットレ・ソットサスのアーカイブは夫人がポンピドゥー・センターに譲ったと聞きました。

 

川上 アキッレ・カスティリオーニの事務所も閉鎖するという話を聞きました。

 

 カスティリオーニといえば巨匠ですよね? どうなるんでしょうか?

 

川上 やっぱり、これは世界的な問題ですね。ただヨーロッパの堅実なメーカーには社内にミュージアムを置いているところもあります。ヴィトラ・デザイン・ミュージアムなどは規模も内容も充実しています。日本の家具産業は小規模なところが多いし、スチール家具メーカーには大手がいくつかありますが、ミュージアムをつくるような余裕はないのが現況でしょうね。デザインミュージアムではないけれど、今、桐山登士樹さんが副館長を務めて、内藤廣さんが設計している富山県立近代美術館は、もともと永年、ワールドワイドのグラフィック・デザイン・コンペをトリエンナーレ形式で開催したり、ポスターや家具などもコレクションしていますね。今後の計画を聞いてみるといいかもしれませんね。

 

 京都国立近代美術館、埼玉県立美術館とか、比較的デザインや建築に力を入れている公立美術館もあるんですけどね。

 

川上 でも、日本中で民族、風土の脈絡を、地元の歴史や文化を見直していこうという気運はあるから、デザインミュージアム、デザインアーカイブの保存なども、これから何か賢明なやり方を見つけられるといいですよね。

 

文責:関康子

 

川上元美さんのアーカイブの所在

問い合わせ先 

川上デザインルーム http://www.motomi-kawakami.jp/contact.html